屋根の修理

二階の屋根の漆喰が
剥がれてきた。
ここは寒冷地、
寒さに耐え切れなかったらしい。

13年前、家をリフォームした時、
加古川の屋根やさんが葺いてくださったものだが
この辺の条件が十分分からなくて

葺いたので、寒さに耐えられなかった。
その上、昨年の鳥取地震で
この辺りも、だいぶ揺れたが、

その影響か
瓦も割れていると言う。




屋根直し




幸い、屋根を葺いたあと
余った瓦を
裏にいくらか残していたので
割れた瓦はそれを使ってもらった。

先日、私も屋根に上がってみたが、漆喰の剥がれ分かったものの
瓦の割れまではわからなかった。
さすが本職!  感心した。

始めは一日で終わる予定が
明日も掛かるとかで、大仕事になった。


姉の訃報

15日早朝、
愛媛の故郷から訃報が届いた。 
二番めの姉が亡くなったと、  88歳。

16日通夜で、17日葬式だという。

私は、16日の朝発った。
出かける前に、
田んぼや果樹園を見回って、7時過ぎに出発した。

何時もと違って
心は弾まない。
長い道中、今までの姉とのことが去来する。

私は早くに母が亡くなったので
近くに嫁いだこの姉が
何かと母代わりの面倒を見、世話をしてくれたので
その
思い出が一層深くなる。

何時ものように
三番目の姉の所に着いて、世話になる。
この姉も、もう随分と歳だが
いつも優しく、良く世話をしてくれる。

以前は、葬式を家でしていたので
隣保の人たちは、その準備で忙しかったものだが、、

今は、田舎でも葬儀場で行うので
時間になったら、そちらに行けばいい。

通夜、早めに行くと
もう沢山な人が来ている。
本当に久しぶりの人が、沢山いるが、懐かしくても話は弾まない。
姉には孫や曾孫が沢山居て
私には、
誰が誰だか分からなかった。

長らく患っていたので
本人は楽になれたが、 それでも残されたものは
悲しい、
と言うか寂しい。

周りの景色はいつもと変わらないのに
なぜか、違って見える気がする。
不思議だった。


やっと タイヤ交換

今年は交換が遅れて
昨日まで冬用タイヤをつけたままだった。

と云うのも
4月に換えるつもりにしていたら
一時期、寒波が来て
高速の表示に、冬用タイヤ着用と出ていたので

まだいいか、と思っていたら
田植えで忙しくて、今日になってしまった。  トホ、

交換は
姫路の家の近くの
西播ホープ自動車でサービスでしてもらう。

こののサービス屋さんとは、かれこれ50年の付き合いで
いつもよくしてもらう。

先代の社長は亡くなったが
二人の息子さんが継いでいて
いつも気持ちよく、サービスしてくれる。

先代の奥さんも、時折り店にいて
今日もちょうど居られて、話が出来た。
何と、曾孫が三人いる、とか。

大原に帰ってきたら昼すぎで
まだ日は高かったが

一仕事終わった!
と思ったら疲れを覚えたようで、
あとはゴロゴロして過ごした。


種子法改変について

読者の方から
種子法が改正されたが、
それについて記事にして欲しい、と言う要望があった。

恥ずかしながら
この改正された種子法について
詳しくは解らない。

が、今までにも
アメリカ辺りから、盛んにこの件を要望されてきていたが、
この度、
政界の大きな問題の陰に隠れて
いつの間にやら改正された、と思われる。

と言うのも、
日本では、色々な経路で
外国から植物が入ってきて帰化し、
元来からある植物が駆逐されてきていた。

そのことが問題になっていたが
特に、遺伝子組み換え植物については
未だ人体に
どんな影響があるか分からず禁止してきたものが
従来から
アメリカの圧力によって
輸入解禁を迫られていた経緯があり

こんなことから
今回禁止を解除したのだと思う。

遺伝子組み換えの作物が大量に入ってくるだけでも
日本の農家は大変なのに
その上に
人体にどんな影響があるのかわからない植物の輸入を解禁するのは
どうにも早過ぎると思うが、、

何しろ、首相の安倍さん、
アメリカには弱いから、
まあ、こんなことになってしまったのでしょう。

今後、私も気をつけて
詳しく解れば、その時に正確な情報をアップします。


またまた安倍さん、、

二昔も前になるか、

総理大臣の刎頚の友に
便宜を図って大問題になった事件があった。

今度の事件は
総理の腹心の友とかに
これまた、大変な便宜を図った、という事件。
以前のは、総理と刎頚の友、だったが

今回はその前に
奥さんの知り合いさんにも
多大な便宜を図って
国有地を、
無っ茶苦っ茶安く分け与えた後に、
今度は主人が
腹心のお友だちに同様のことを、 のよう。

私には、(刎頚の友と腹心の友)、
の違いがよく分からないが
どちらも仲のよい友だちのようだが、どうだろう。

夫婦して
(仲のよいお友だち)に
国有地を安く分け与えてもらっては
国民は
たまったものではない。
お隣の国でも似たようなことがあったが
大統領は、罷免された。 

それに比べたら
日本人はみんな、人がいいな。



戻りたくない道

国会で
共謀罪が強行採決されようとしている。

今までにも、
平和憲法をないがしろにする法律は何本か強行採決で通されているが
憲法にまでは手が出せなかった。

歴代の政府も、
あいまいにしながらも
平和憲法については手が出せなかった。

 ところが、
安倍さんになってから
急に、この平和憲法に手を付け出した。

今、北朝鮮がどうのこうの、
と言っているが、
かつての日本も同じことをして、  そしてあの悲惨な戦争へ突き進んでしまった。

 思い出しても身震いがするほどの
あの悲惨な戦争、
二度と経験したくないので
今の平和憲法が出来た時は、国中が喜びに沸いたものだ。

しかし
その悲惨な戦後を知らない人が大半になると

漫画ではないが、
敵を懲らしめる軍人の、
忠誠心などをかっこいい、と勘違いして
その下には塗炭の苦しみを蒙る人たちがいるのに、、 なあ。

今、中東やアフリカの一部の国の人々、
今はみんな、勝つことばかり信じているが
一旦、戦争が始まれば
負ける立場に立つこともあるのだ。

安倍さん、
おじいさんの果たせなかった夢のために
頑張っているが
その巻き添えにはされたくない。

今までの七十年間、
平和憲法と国民の頑張りで、
一度も戦さが無く過ごせたのに
何をいまさら戦さの準備なんて、、

 あの悲惨な目に遭わされるのは
ニ度とご免蒙りたい。



平和憲法が危ない

安倍首相が
オリンピックまでに憲法を変えたいと言う。

前々から変えるとは言っていたが
具体的に期日に言及したのは
初めてだ。
私は、いよいよ来るところまで来たか、
と、いう気がする。

戦後70年余り、
 ①  戦争をしないで平和に過ごせたのも、
 ②  戦争にお金を使わなくて産業が発展したのも、

みんな平和憲法のお陰だった、
と私は思っている。

当欄でも、何度か書いたが、
幼児の頃、先の戦争がそれはそれは悲惨な状態で終わった。

このことは、漫画(ホタルの墓)や(ハダシのゲン)で
少しは顕わされているが、実際はもっともっと惨めなものであった。
最良質の漫画であっても
その時の切実さを顕わすことは出来るものではない。

だから私は
平和憲法が出来た時、
曇った空がいっぺんに晴れ渡ったように思って嬉しかったものだ。
すぐに改憲の動きも出てきたが
公にはされなかった。

三島由紀夫が、
自衛隊で割腹自殺をしたときも、
犬死にだった。

自民党の人達も、
改憲を出しかけては引っ込め出しかけては引っ込めして
世論の様子を見ていたが
出し切れるものではなかった。

そこへ安倍さん、
あの悲惨な戦争を全然知らないこの人が
戦後70年を過ぎて、もういい、と思ったのか
とんでもない事を、
次々と打ち出してくる。

そして今回、遂に期日まで切って
改憲すると、、   怖いことになってきた。

私は
ホタルの墓やハダシのゲンの世界は
二度と歩みたくはない。


砂の美術館

今日は朝から雨、
昼前に神さんが来た。

前から約束していた
鳥取砂丘にある砂の美術館に行く。

途中で昼食を取り砂丘へ。
今回は (砂で世界旅行・アメリカ編)。
砂丘に着くと
雨は降っていたが、まだ大した雨ではなかった。

建物の周りは、前回来た時よりきれいに整備されていた。
雨にもかかわらず、沢山の人が訪れていて
外国の人も沢山。 

中に入ると、
正面にナイヤガラを模した建物いっぱいの滝がある。
その上には初代大統領ワシントンと何人かの人物の顔。
下にはデラウェア川を渡るワシントンの像。




ワシントン




その脇には
ニューヨークの摩天楼、等等、
19の作品が飾られていて
毎度のことながらその見事さに目が奪われてしまう。




自由の女神とあ
ニューヨークの摩天楼




アメリカのスポーツ
アメリカのスポーツ




とあ①映画
アメリカの映画  




奴隷解放の父、リンカーン
奴隷解放の父、リンカーン




世界の砂像作家19人が
腕をふるって、見事な砂像美は圧巻のひとこと。
今回はいつにもまして
迫力があった。

開館は二日前の15日で
来年の1月3日までの長期開催である。

今年の2月、
香川の銭型砂像を見た。
これはこれでよかったが、スケールが違いすぎる。

皆さんも
鑑賞されてはいかがでしょう。



真央ちゃんの陰に隠れて

浅田真央ちゃんが引退した。

華麗なスケートを見せていただけに
残念だが
大方の気持は仕方がないな、というものだろう。




まおちゃん




まおちゃん




今日のニュースは
これでもちきり、 しかし私は気になる。
森友学園の問題、
うやむやにならないか、

私たちが交通違反をすると、
有無を言わさず罰金を取られる、
極めつけは、ネズミ捕り、
隠れていて
違反するのを待って罰金を取る、という汚いやり方。

表に出て
指導するならよいが
陰から出てきて捕まえようとするのはきたない。

一方、首相夫人が名誉校長を務める所には八億円も負ける、
と言うのは、何ぼなんでもやりすぎで、
こんな勝手放題をやられては
国民はたまらない。

今日は、ニュースが、
真央ちゃんの引退話でいっぱい、

人気は分かる、
が、真央ちゃん、隠れ蓑に使われてる、、、、、


新しい先生

新しい先生、
と言っても、学校の先生ではない、
病院の先生。

お世話になっていた,佐藤先生が替わられて
四月から新しい先生になった。
ドコからこられたのか聞いたら、岡山大学です、と言われた。

マスクをしておられたので
顔はよく見えなかったが、、、
又、2~3年お世話にならなければならない。
患者も、先月よりは多くなっていた。

今朝も6時半過ぎに
順番取りに行ったら6番目だった。

8時半に受付が始まる、
時間があるので、ベッドで横になっていたら
うたた寝してしまって
気がついたら8時半過ぎで

慌てて行ったら
受付が始まっていて、
順番取りが無駄になった。
でも、こちらのミスなのでおとなしく待って、帰ってきた。

帰ると、今にも降りそうだったので
横になったら、又眠っていた。

目が覚めると、
天気はよくなっていたが
気温は低く、そのまま家の中で過ごす。

今日はスーパーも休み。
なので私も休み、  それはないか。

大丈夫か日本。

先の戦争で
ひどい目にあったこの国の人たち。

二度と、あの悲惨な状態にならないように、
と、憲法で平和宣言をして復興に頑張ってきた。

きみまろさんではないが、
あれから70年♪ あれから70年♪、

今では、殆どが
あの悲惨さを経験していない人たちばかり。
(平和ボケ)と言う言葉まで生まれた。

以前は、口が裂けても言えなかった戦争の準備が
ぞろ口にされ始め、外国に行って戦うことまで始めた。
と言っても
表向きは『平和のため』

極め付きは、
公明党の武村さん、イラクに行った時、
自分は防弾チョッキに身を固めて
(非常に安全であった)と言って、その後自衛隊を派遣した。

そして今回、
派遣した自衛隊が戦争様態に巻き込まれたら、その報告を破棄した、
と国会でウソの答弁、
示しがつかなくなったら
報告があったの無かったの、と右往左往して、
  
そして今回、又、出てきた(凶暴罪)、
戦前によく似てきた。

次に出てくるのはさて、何だろう。
そういえば、今、自衛隊の募集に人が中々集まらない、とか。

この次かその次に出てくるのは
教育勅語もどきのもので、 
その次が「徴兵制」、

こうなったら、
さぞ暗い世の中になるだろうが、、、  大丈夫か日本。


照ノ富士

大相撲が終わった。

稀勢の里が優勝したが
照ノ富士も角番を13勝と頑張った。

しかし、関脇に落ちて
10番勝って復帰を目指す琴将菊との1番で
あの変わり身はいただけなかった。




照の富士⑤




私は琴将菊の復帰を願っていたから
特にそう感じたのだろうが、あの変化はどうか。

かつて、名横綱と言われた若乃花(二代目)が
武蔵丸との一番に
「変わり身を打てば絶対勝てると思ったが、横綱だから真っ向勝負にいった」
と、語っていたのを思い出す。

身体の小さい二代目若乃花は
48手の相撲技を駆使して勝ち進み、横綱になった人だ。
その人が、横綱になったとたん、真っ向勝負に行ったのである。
その意気やよし。

私はこの時、
相撲の厳しさを
つくづくと思い知ったものだ。
そんな気で
今回の照ノ富士と琴将菊戦を見た。

照ノ富士は角番を脱しており、
琴将菊は、もう一番も負けられない状態の一番で、

それが
照ノ富士の変わり身で
あっけなく終わった。

遠藤との一番で磐石の強さを見せた照の富士と、
この一番に力を出し切ろうとした琴将菊との
(圧巻の一番)を期待していただけに

あっけなく終わった相撲に
空しさを覚えた。

勝っても負けてもいい、
ガップリ勝負をして欲しかった。


「森友疑惑」

先般から、
毎日、テレビで取り上げられている
森友学園の疑惑。
安倍総理夫人の国会喚問が問題になっている。

総理としては、
夫人が証人として召ばれて
色々な角度から追求されるのは
堪らないだろうが、




安倍夫人




何しろ、疑惑の学校の
名誉校長になっていたのだから。
笑顔の顔写真まで飾られていたのを、
疑惑がおきると
慌てて取り外しても、載っていた事実は消えない。

ここはやっぱり
みんなの前ではっきりしてもらいたい。
今も、あちこちで講演をされているようだが、

何しろ、
なけなしの収入から
高い税金を払ってきた国民の財産が、
ただ同然に、払い下げられていたのだから。

昭恵夫人が
泣きを見られても
ここは、はっきりさせていただきたい、と思う。

八丈島紀行 ⑥

三日目、お昼は
郷土料理の昼食。





飛魚の姿作り
飛び魚の姿造り、むこうに明日葉の天ぷら




新鮮な飛び魚の姿造りと
明日葉の天ぷらで
今日こそ、と食事前にカメラ。
食事後、大将に聞いたら
毎日の食材の確保が大変、と難しい顔を見せた。

集合まで
テレビの前に座っていたら
渡瀬恒彦さんの訃報が流れ、若いのになあ、とビックリする。

最後は
(くさや)の加工場に行った。
試食をしたが、くさくてコレは馴染めない。
グループの誰も買った様子はなかった。

その後、八丈島空港へ。
飛行機に乗れば、もう帰ったも同じ。
アッという間に羽田へ。
ここで添乗員と別れて、伊丹行きの飛行機へ。

今回の八丈島の旅、
2日目、異常気象に遭遇して寒かったが
原生林ウォークなど
普段では出来ない体験があったし
いろいろな見学、見物も豊富にあった。
が、しかし、
なんといっても
魚の美味しさを改めて認識した。

また、いい所を探して行きたいもの、  それまで頑張ろう!   (終了します)




コンパクト
神さんが求めた黄八丈のコンパクト





八丈島紀行 ⑤

3日目(16日)は
予報では暖かくなるはずだったが
あんまり代わり映えせず、

雨でなかったら良し、と
始めの観光地へ。

まず、海岸に溶岩がせり出した
「南原千畳敷海岸」に行く。





日本のハワイ①
向こうは八丈小島




日本のハワイ②
溶岩に砕ける波




千畳敷
この人、誰、  神さんかもしれない




ここには、宇喜田秀家と豪姫の石像もあった。
関が原の戦いに敗れた秀家が



宇喜田秀家



豪姫とともに
八丈島に流されて、豪姫はすぐに加賀に帰ったが
秀家は一生ここで暮らし、80余歳で没した。

その罪が許されたのは
明治の代になってからで、平成になって石像も建てられた由。
ふたりの像の向く先が
(はるかに遠い領地、美作)とは、
ホロリとした。

その後、
陣屋屋敷の玉石垣や
黄八丈のお頭の「服部屋敷跡」を見学。



黄八丈染め元
黄八丈工房




玉石垣
流人が積んだ玉石垣




の実服部屋敷のそてつ
服部屋敷跡のソテツの実




かみさんはここで黄八丈の「コンパクト」を買い、私は
樫立踊りに飛び入り参加した。

陣屋屋敷の
海岸に打ち寄せられ波にもまれてマールくなった玉石垣は
流人たちが運んで積んだもの。
海岸からこの地まで運んで
報酬は(おにぎり1個)、
それでも
米のおにぎりは
何物にも換え難い嬉しいものだったのだろう。  (続けます)



八丈島紀行 ④   

2日目はとにかく寒かった。

バスから降りて
すぐ風呂に入って温まって6時から夕食。
昨夜は他の団体が沢山居て賑やかだったが
この夜は
私たちの団体だけで、その分サービスも行き届く。

料理も、これまた島の産物、
とても豪華な料理で
大きな「金目鯛」の煮付けが副菜で出てきたのにはびっくり。
薄味で炊いてあり
金目の煮つけは甘辛い、の先入観がひっくり返った。

「島には沢山の美味しい焼酎があるから飲み比べてみてください」
と言うことだったが、
焼酎をそんなに飲んだら、酒の弱い(?)私など
すぐに潰れるので

最初に一杯戴いて、
その後は福島の冷酒を頼んだ。
これが又美味しく、
島の魚と良く合って
本当に今回の旅の魚は美味しかった。

お腹も空いて
すぐに箸を付けたので
気がついたら写真がなかった、  残念至極!
金目の写真、 撮りたかった!

満足して部屋に帰ると
布団は昨日のままで、バタンと眠り込んだ。  (続けます)



八丈島紀行 ③

登龍峠展望台を後に
次は楽しみな昼食へ。

メニューは「島寿司」で、
島で獲れた魚を使った名物で、新鮮なネタを味わう。



島寿司
これは美味しかった。



次は民族資料館に。
ここは案内人の方がおられ、説明して下さる。

私が子供の頃
使っていたような農具や、
流人の人たちが使っていた生活用品など、
島の人たちの
生活や歴史を物語る資料が展示されていて
往時を偲ばせるものだった。

島は良く雨が降るとかで
朝はまあまあの天気だったものが
昼過ぎから
雲が出てきたと思ったら
急に降り出したり、そうかと思ったら晴れたり、と目まぐるしく変化する。
途中でアラレも降ってきて
何と、少し積もった。
八丈島で、アラレとは!

次に訪ねたのが「明日葉(あしたば)工場」、
島の名物にするため、
盛んに取り組んでいるもようで
ホテルの料理にも
必ず出てくる野菜で、
私たちもみんな、種の配布に与かった。

つぎに都立八丈植物公園、
寒いので、中は暖かいかと期待したが
それはなくて、
外と違って風が当たらないのが救いだった。
珍しい植物もあったが




植物園




ホテルに着いたころには
忘れてしまっていた。

次に行ったふれあい牧場は
アラレで、白くなっていた。

今日は、
景色は素晴らしかったが、
何しろ、異常気象のおかげで寒く
ソコソコにバスに戻っても暖房はなく、ホテルまで我慢の子で、

この天候には、
八丈島の人たちも驚かれたと思うが
私たちはそれ以上に驚いた。

連泊のホテルに戻るや否や
大浴場に飛び込んで人心地ついたが。  (続けます)




八丈島紀行 ②

2日目、
気温が低くて
ムチャクチャ寒い。

予報は全国的に雨や風で
この日の羽田からの八丈島向け第1便は飛ばず、船も欠航。
そんな中を、
昨日八丈島に来れただけでも運が良い。

朝、バスに乗る時
ホテルのすぐ後ろに八丈富士が迫って見えた。
島のバスガイドさんも同行する。




ホテルから八丈富士
八丈ビューホテル、上には八丈富士が。




向かったのは
“ジュラ”の森、原生林ウォーク。
バスから降りて、森の中を2キロ歩く。




原生林①



ほんとに恐竜が出て来そう。



原生林②




前の日は雨で入れなかったそうで、
入れただけでも運がいい。
道は山道で細く、舗装などとんでもない、
しかも雨のあとでぬかるんで、歩き難かったが、

亜熱帯特有のヘゴの木やしだが
いっぱいに茂っていて、
異様な雰囲気を醸しだしていた。




原生林③



うわッ、出てきた。



原生林④




専門ガイドの説明を聞きながら1時間ほど歩いた。

次は八丈八景の一つ、名古の展望台へ。
ここからは、太平洋の荒波が手に取るように見えた。
この日は風が強く、
大きな波が岸辺に打ち寄せるさまは壮観そのもの。




逃げられない
これでは罪人さんも島抜けはムリ。
八丈島はどこもこんな感じの断崖がつづく。




つぎに行ったのが、登龍(のぼりょう)峠展望台、
途中の道路の山側には
大きなオスとメスの龍がタイルで描かれ、
メスの爪は赤かった。

ここの展望台からの眺めも
素晴らしく、
寒さに難渋しながらも堪能する。   (続けます)



八丈島へ ①  

14日から
2泊3日のツアーに参加。
行く先は八丈島。

キャンセルがあって
参加が可能になった貴重な旅で

前日から姫路に帰り
14日朝、空港リムジンで大阪空港まで。
そこから羽田まで行って
乗り換えて八丈島へ。




八丈島空港①




伊丹から羽田まで、
羽田から八丈島まで、いずれも1時間ソコソコで着いた。
羽田空港には
来日中のサウジアラビアの飛行機が
何機も羽を休めていた。

私は
八丈島は、
もっと南に位置している、と思っていたが
緯度で見ると四国の高知の足摺岬くらい、
と聞いて、認識を改めた。

着いたら夕方で
ホテルに着くと、お風呂に入って夕食を頂くだけ。
部屋は3階だった。

このホテル、
3階建てで、エレベーターが無く
全て階段で昇降する。
ホテルの言い分は、地震や噴火が起こると危険だから、とのことだが
何回か昇り降りをしていると、
危険でも
エレベーターがあった方がいい、  年寄りには堪える。
地下の大浴場も、階段だった。

夕食は、
島で獲れた魚や野菜が材料で、
最初、口にあわないのでは、
と危惧したが
地元の素材を活かして、美味しくたっぷりの量で満足した。

思うに、
東京から遠く離れて
島で取れるものでしか、料理が出来ないのではないか。

頂いたお酒が回って
部屋に帰るとすぐ寝てしまったが、
布団敷きはセルフだった。     (続けます)



今日も施肥

今日も又、
ニンニクのマルチのため
牛糞を買いに牧場まで走る。  

牧場には
他に2組が来ていた。
今の時期は、夏野菜の準備でみんな忙しい。

ニンニクは2畝、
たっぷりとマルチをしてやると
雪で押し下げられていたニンニクが、とたんに元気になったように思える。
そのあと、ソラマメにもマルチをする。

ソラマメは、
あんまり肥やしをやると
莢ばっかり大きくなって、実がつかない。

だが、どれくらい実がつくか
試しにやってみる、
これが道楽農業のいいところで
出来なかったらそれまで、
以後の参考になる。

牛糞が残ったので
みかんの木にも施肥をする。
昨冬は寒冷に耐えた蜜柑、
今冬は、大雪と寒さでだいぶ弱った。

この分では、壊滅かもしれない。
持ち直したら嬉しいが、、、  どうも駄目そうだ。


3人、桜咲く

今年は
3人の孫が大学受験で、
2人は決まったが、1人結果がまだだった。

私としては、何もしてやれないが
氣だけは人一倍、揉む。

勝手なことに
3/2なら上等上等、などと
娘が聞いたら気を悪くするようなことを思ったり、

まだまだ大丈夫、とお気楽に考えたり、、、とにかく色々な考えが浮かぶ。

残った孫からすれば
すべてが自分なので、
3/2などと思われてはたまらない。
そんな訳で
孫を思うと、気持が閉じていた。

今日は朝から雪で、
することがないので、ベッドでテレビを見ていると
電話が鳴った。

出ると娘からで、開口一番
「通ったよ」

私はいっぺんに身体が軽くなった。
外の雪もやんだ。     さあ、、これから春、

私も、孫たちに負けていられない。


美作市立大原病院

今日は病院に行く日だった。

このところ、
患者さんが少なくて
順番取りもどうしようか、と思ったが、
目が覚めたので
6時半を過ぎて行った。

私の前にはだれも来ていない。
当地は田舎なので
先生も次々と変わり、大体2~3年で交代される。

私の主治医も
今で二人目だが、4月に変わられるようなので
聞いてみたら、
やはりそうだ、とのこと。

院長以外は、通いの先生か
初めての方が赴任される。
建物は立派だが、今の時期、中はがらんとしている。

来た当座は
姫路に行っていたが、
通院には遠いので、今はこの美作市立大原病院にお世話になっているが

今の先生は3年目で
ソロソロと思っていたら、予感は当たった。

そんなことも反映してか
はたまた寒いからか
とにかく今の時期、めっきり患者さんが少ない。

成り立つのか、
と心配になるが
都会の混雑した病院を思うと、、

これはこれで極楽かもしれない。




大原病院②



雑感。

私は戦中生まれで
戦後のことしか確かな記憶はない。

しかし、戦前の事は
子供の頃から、
話を聞いたり書物を読んだり、
はたまた、テレビなどで大まかな記憶は残っている。

私の一番強烈な記憶は、
戦後すぐの事で、故里の田舎のひとこま、

春先の事で、
種芋を畑に伏せていた。
下肥をかけたその芋を、掘り出して持って行った人がいたこと。

食べ物のない時代だったが
さすがにこの事件は、いつまでも私の記憶から消えない。

もう一つは、ドイツのヒットラーが自殺したこと。
あれだけ国民の心を掴んでいた指導者が
みずから亡くなって、
そして、犯罪者になったこと。
そして、してきた事の数々が、世にも恐ろしいことばかりだったこと。

こんな記憶は
いまだ、忘れられず残っている。
そういうことについては
成長するにしたがって、折に触れ調べてみた。

その結果思うのは、
生活が行き詰まると人は極端な変化を求める、ということ。

今、世界では
又、あの忌まわしい戦争の火種が
あちこちで火を噴いているし、
アメリカでは
目先の利益しか目に入らないような人が大統領になって、

ヨーロッパの国々でも
戦前と同じような状態が起こりつつある。

日本でも
戦前のような状態を作るのが
いいことのような風潮が顕れ始めているようで、、、

とまあ、これ等のことども、
(田舎の年寄りの繰り言)、で終わってくれれば嬉しい。


森友学園に関する報道

朝から降ったりやんだり。

雨は大した降りではないが
気温が寒いので出る気がせず
テレビをみていた。

どこの局でも取り上げているのが
大阪の森友学園の小学校用地取得の件で、
始めは
内容がわからなかったが、よく聞けばとんでもないことをしている。

豊中にある国有地が売られた話で
何でも、9億数千万円する土地が
8億円も引かれて学園側に売られていたとか、 これって国民の財産ですよ。

よその国なら大問題、
日本はつくづくとぼけた国だと思う。

まず大臣がとぼけている。
防衛大臣じゃないが、
こんな人が国を守っているのかと思うと、背筋が寒くなった。
安倍政権一強の慢心の結果ではないか。

つぎにとぼけているのが、役人、
真面目にこつこつ励んでいる人が大部分だろうに、
偉くなると
何でコウもすっとぼけられるのだろう、
と思うくらい、
見事にとぼける。

一人くらいは
(そうです、議員の声掛かりで、此方も気を使ってあげました、
 済みません、、、)
という位の
気骨のある人は、居ないのだろうか。

そうすれば
次の選挙で当選間違いなし。

それにしても野党の皆さん、
よく調べて、
暖簾に腕押し、の答弁を前に追及される姿勢には頭が下がる。

奇しくも今夜、
ネットをみていたら
森友学園幼稚園の事が載っている。




右翼①




右翼②




見ていたら、  これが又、ひどい、
まるで園児は虐待される集団のようで、  あーあ、 寒くなった。

こんな事案が
出て来ないように
真相究明を、切に望みたいものです。


ダブル健診

2/28は年2回の
石綿健診の日だった。

又、年1回の高齢健診もあったので、
朝食を抜いて、朝一番に近くの福間医院に行った。

この先生には
2度助けられている。

一度は20年ほど前、
心筋梗塞を見抜いて紹介状を書いてくださり、当時の塚崎記念病院に入院。
早く見つけて
大事に至らなかったが

その時、
私の心臓の血管には
狭窄を防ぐステントが4本、
太ももからカテーテルで埋め込まれている。

二度目はつい昨年のこと、
脳梗塞を見抜いていただいた。
早い処置の点滴が功を奏して、梗塞が溶け、
この時も事なきを得た。

昨年の感謝を述べて
健康診断を受けたが、結果は3週間先。
結果は、かみさんに聞きに行ってもらう。

それから午後、
今度は石綿健診のため、医師会館へ行った。
ここは今、外を化粧直し中だが、中はすっかりキレイになっていた。

喀痰容器を出したあと
いつもの健診をしてもらい、
済んだら2時過ぎで、それから大原に直帰した。

着いたら4時前だった。

昨日から今日にかけて
マッサージ、高齢健診、そして石綿健診、と
『大仕事』をした気になって、

あとは何をする気も起きず
一日が終わった。  しかし、気分は上々、ヤッター感充分。


マッサージ助成券を使う

姫路市では
70歳以上の高齢者に
申請すれば、1年に3000円分のマッサージ助成券がでる。

今日(27日)は、その予約の日。
かみさんが予約しておいてくれたので
姫路に帰る。

昼前について、
録画の「釣りバカ」を見ていると予約の3時。

(パルムマッサージ)という
市所属の施術所から
自宅に出張してもらえるのが嬉しい。
私は、
去年、脳梗塞を患ってから、
身体の筋肉が硬くなったようで、一度ほぐしてもらおうと初めて利用した。

マッサージに来てくれたのは
元プロ野球の選手だった方で
身体の故障から
マッサージの学校に行って資格を取ったと言う。

若くて体格がよく、力のある方で
約1時間近く全身を揉んでもらったら
気持ちがよくて、あとは身体が軽くなっていた。

そのおかげか
昨夜は、殊更よく眠れた。

この制度、みんな知らないのか、
知っていても面倒なのか、利用はあまり聞かないが、
味を占めた私、
次年度も利用したい、と今から楽しみにしている。


お粗末な国会

先日、
退屈凌ぎに国会中継を見た。

民進党と、共産党の質問、
質問するほうは、よく調べて真剣に臨むが

応える大臣のほうは
なんともお粗末、
よくまあこんな人が大臣に、
いや、代議士になったもんだ、とあきれた。

その大臣とは、稲田防衛大臣。
質問に対しても、始めから援護を求めて回りをきょろきょろ、
一つとして自分の考えを述べない。

述べないのではなく、述べられないのが見ていてよく解るので
質問する方の努力が空しく感じられた。

この人、
終戦記念日や正月に
靖国神社でよく目立ち、
マスコミの標的になって認められたが、



稲田




その実は何も無く、
立場はおんぶに抱っこ。

こんな人が、日本を代表する防衛大臣とは。
質問が始まるや、助けを求めて今日もキョロキョロ、
書かれたメモを読むのが精一杯、

ああそうだ、
読むのが精一杯どころか、読めない人もいたな。

こんな人を任命した総理が
「良くやってくれている」、

どうなっているのだろう、
情けなくて身の置き所がない。


故里滞在記 ④

4日めの晩は
近くの甥も来てくれて
姉宅の前の焼肉屋で賑やかな宴会になった。

4才下の
郵便局長をしていた人が仲間に入ってくれて
懐かしく賑やかに過ごした。

食事が済んで帰ると
松山の姪が帰ってくれていて、またまた懐かしく遅くまで話した。

5日目の朝は帰る日で
姉が早く起きて赤飯を炊いてくれて
それを
姪がおにぎりにして持たせてくれた。

この赤飯、栗も入って美味しくて
途中で食べ始めたら止まらず、たくさん食べた。

香川の観音寺で
寄り道をして『銭型砂絵』を見た。




銭型すなえ




銭型すなえ②




銭型いわれ




この日13日は上天気。
銭型砂絵は、前々から一度見てみたかったので
今回寄れてよかった。

展望台から眺めるので
少し遠く、少々分かり辛かったのは残念。

瀬戸大橋を渡った所で
ガソリンが少なくなったのに気づいたが
次のパーキングまで怪しかったので、高速を降りて入れた。

一般道は少し混んでいたが
2号線に入ると車線も沢山あって、速やかに走った。

大原に帰ると
雪はまだまだ有って冬真っ盛り。

今回の帰省の目的は、

病気をして心配かけたので
元気なところを見せるのと、
蔵人をしていた田中酒造の新酒を義兄に飲んでもらうこと、だった。

いつもしている
甥の工場の松の剪定は
雪で出来なかった。
してやりたかったが、いたし方なし。

まずはめでたしめでたし。  (終わります)


故里滞在記 ③

4日目、
入院している義兄を
大洲に見舞おうと、朝9時半頃でかけた。

場所が解らないので、
姉に一緒に行ってもらったが

姉も一度昔に行ったきりで
詳しくは解らず、甥にきてもらい案内を頼む。

義兄は心臓が悪いそうで
ペースメーカーを入れたという。
前に会ったときは、
太ってお腹も出ていたのに今回はすっきりしていた。

行っといてよかった。
会っといてよかった。   (もうちょっと続けます)


故里滞在記 ②

二日めの朝、
起きると、外は雪で真っ白。

雪はそのまま降り続き
夕方には25cmくらい積もった。大雪だ。

いつもは飛んできてくれるすぐ上の姉は
風邪で寝込んでいるとかで来れない。
一日中、三人で
昔の話をしたり、近所の話などをして寛いで過ごす。

四国は大丈夫、
と思った雪は
こちらでも降り続き、
降り込められてどこに行くこともできない。

義兄は92歳、
友達もほとんどいなくなった、
と嘆いているが
身体も気力もしっかりして、動きは私より確かなほど。

夜は、
雪も降ったり止んだりで、道路はカチカチに凍っていたが
明くる日昼頃になると、道路の雪も解けたので
すぐ上の姉宅に行ってみた。
来れなかったはずで、風邪で大層弱っている。

ここの義兄も
体調を崩して大洲に入院しているとかで、
少しだけ話して早々に切り上げたが、  みんな、歳がいったものだ。

雪は峠を越したようだ。   (続けます)


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プロフィール

Author:松本直美
定年後、岡山・美作で農業を始めて18年。
米作りだけでなく、野菜や花、
果樹、造園についても書いていきます。
造園技能士一級の資格を持っています。

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