未タイトル

今日からお盆休み、
と勝手に決めて

と言うより
世間さまがお休みなのに
ガリガリ、キーキー、と機械音を立てては憚られる、
と思っているので
静かに静かに過ごす。

そんなわけで、 することは山ほどあるが
とりあえず庭の草引きをする。
つい先日、
きれいにしたのに
引き始めると、その草の多いこと多いこと!

時間がかかるほどには
キレイにならず、 遅遅として進まない。
まあ、今日は
おまけの仕事、くらいに進めていく。

オクドさんにも火を入れ
沸けば、何時ものように庭の草にかけていく。
草が大きくなっているので
少しくらい掛けても
草は枯れない。
これを遅らせると、何もかも手間が倍増する。

夕方までに
思った半分くらいしか出来なかった、残りは明日、といきたいが
明日は全国的に雨、とか。

うまくいかないものだ。

グズグズしていたら、秋野菜も気になるし
忙しい、 ああ、忙しーーー、

しかし、これは頭の中だけで
身体が随いていかない。



お墓参り

正月を迎えた時、

今年こそは、と色々な抱負を抱いていたのに
これと言って何もしないで
もう八月も半ば、

それでも
昨年患って入院したため
硬くなった筋肉をほぐすのに
やおら一年かかって、
ようやく元の身体に戻ったように思えるのは、今年一番の
成果かもしれない、

と、自分に都合よく解釈して
今日も、 何をするでもないが
熱中症対策だけは万全にして過ごす。

しかし、これだけはしなければ、
と、墓参りに行ったら

どこかのおばさんが
桑の木を車に積んで居られる。
桑の木、何にするのですか、
と尋ねたら
「邪魔になるから伐って、これから捨てる」とのこと。

うちにもあるので、何かに使えるのか、と思ったが
邪魔になるだけ、なのか。

墓参りを済ませて帰ると、何もする気がしない。

明日は庭草の処理でもするか、と
思い描いて過ごす。

どんな一日にするか、と
思いを巡らせるのは愉しい。

さて、
ご先祖さまはご機嫌よくお帰り下さっているだろうか。



喜寿の祝い

昨日(11日)は、
子供と孫たちが
私の喜寿の祝いをしてくれると言うので
姫路に行く。

自分の祝いに姫路に帰る、
という気分は、普段ないので慣れなかったが

ゆったりした気持ちで運転していると
時速は法定速度になっていた。
道中の景色も、いつもと違った感じに見える。

姫路に着くと
前日に来てくれた孫たちが大きくなっているのにはビックリ。

昨年病気をした時に
見舞いに来てくれた孫もいるが
3年ぶりの孫もいる。
私(176cm)より背丈が伸びた次女の長男も。

祝いは「ホテル サンシャイン青山」で始まった。





喜寿お祝い①





はじめに皆が
一言ずつ近況や抱負を言ってくれたが
それぞれしっかりしたことを言うので、頼もしくて嬉しくなった。

食べて、飲んで、和気藹々とした2時間半が
瞬く間に過ぎていった。





喜寿お祝い③





終わると、晩は姫路に泊まって
翌朝 帰岡した。

自分のことで
子供3人、孫6人が集まってくれたのは初めてのことで
面映ゆい気もしたが

一番感じた事は、
いよいよ退け時、ということ。

しかし、それはそれ、無理しないで頑張ってゴー、 だ。




自分史を作る

私は今年77歳になった。
喜寿、と言うそうな。

そこで娘たちが、
お父さんの生きたあかしに
何か記念誌を、 という算段を立てたらしい。

それが昨年の事。 
何か今、そういうことが今時なようで
混んでいて
申し込んで一年たって、順番がきたようで、
今日はそのために午後、東京から二人の方が見えた。





親④





親の雑誌の③





そのため、
神さんはその準備に、午前中奔走、

写真が40枚ほど入用とかで
10冊余のアルバムを持ってきていた。

その方たちが見えたのは一時前で、

私の子供の頃のことから
聞き始めたが、、  その頃の写真はほとんどなくて
私の思い出話だけになった。





親の雑誌②





付き合いだしてからの写真は
神さんが
きれいに整理をしていたので
「分かり易くて助かります」 などとお褒めに預かりよかったようだ。

どんなものが出来るのか、
と思うが
今からも電話で聞きたいので、と言われた。
編集、大変だろうな。

最後は
表で写真を撮ったりして
終わったら4時になっていた。

久しぶりに
長い間、人と話して疲れてしまった私は
五時過ぎには眠ってしまい、

神さんが
姫路に帰ったのは分からなかった。




南東北 紀行 ③

三日目。
朝は八時半出発。

一番に会津鉄道に乗る。
二両編成の小さな鉄道で
私は、一番前の運転席の横に立った。

運転手さんが、
免許があれば運転しても良い、
と言うので、普通車の免許なら、と言ったら、鉄道の免許だと言う。
そんなやり取りをしていると、

運転手さん、
自分の荷物を片付けて
手前が見易いようにしてくれる。

20分ほど乗って
「塔のへつり」に着く。
大昔、対岸の岩が削られて奇岩になっており
吊橋もあって、
渡れるようになっている。

私たちは
渡らず、見るだけにした。

次に行ったのが宿場町「大内宿」、
私は知らなかったが
神さんは、ぜひ一度見てみたかった、と言って感激していた。





rennkyuu1日目。
今日は、3連休1日目の土曜日。






大内宿①





大内宿、
路の両脇に50軒ほどの
わらぶき屋根の家が立ち並んでいる。
ドン突きまで行くと
さらに高いところに登れるようになっている。

頑張って登ると
大内宿の集落が一望できる。





ばんざーい。





中に、屋根の葺き替えをしている家もあった。
私の生まれた家も
草屋根だったので
懐かしく感じた。





屋根吹き替え
左 手前から3軒目、ワラ屋根 葺き替え中。
日曜日(16日)には「モチまき」をすると聞いた。





それぞれの家は、皆、商売をしていて
中でも葱そばが有名だとか。

ネギは、蕎麦に付きものだが
ここのネギ蕎麦は
葱一本で食べる、 途中、葱を齧りながら。

見ていると
食べにくそうなので、私はざる蕎麦を食べた。

そこが今回の旅の終わりで、あとは、元来た道を戻るのみ。

今回の旅は
私たちが最年長ではないか、
と感じた旅でもあった。

この間、東北地方でも
局地的に
ゲリラ的な大雨が米沢を襲ったり、
宿入り直後に大雨が降ったりしたが、
まるで雨が
私たちを避けてくれたようで

ただの一回の雨にも遭わず
私の喜寿記念旅行は、無事終了した。   ばんざーい! ありがとーう。
                               (終わります)



南東北 紀行  ②  

二日目の朝は、
早くに目が覚めて、朝風呂のあと
バイキングの朝食。

八時に出発だが、
予報では雨が降るかも、 と言う。

ガイドさんにも
雨具の用意をと言われ
あらためて、その用意をして出発した。

まず始めは「会津若松 鶴ヶ城」。
途中、戊辰戦争で
旧幕派として戦った会津藩のことや
若くして散った白虎隊の悲話を、繰り返し聞かされる。

お城、  いつも、お城として姫路城を見ているものには
規模が小さく感じられたが、
石垣の矢玉の跡が、痛ましい。
先年放送された
大河ドラマ「八重の桜」は
毎週見ていたので懐かしさも覚えた。





鶴ヶ城
鶴ヶ城全景






鶴ヶ城③






turugajyou
天主を望む





午前で、時刻はまだ早かったが
猛烈な暑さで、神さんはフウフウである。

鶴ヶ城を後にして、次は蔵王エコーラインを走って、蔵王の「お釜」を見る。
バスが頂上近くまで上がるので
降りたら直ぐだった。





蔵王残雪





蔵王残雪②
向こうに残雪が。





朝の雨の心配をよそに
良い天気になって
お日様は、燦燦と照っている。

山上なので、温度が低く
風が爽やかで気持ちがいい。
頂上に上ると
直ぐ下に、お釜が現われた。 廻りにはまだ残雪が残っているところがあって
不思議な感じがする。

ガイドさんは
「お釜が見られる季節は限られているし、
 天候もくるくる変わるので、今日のようにきれいに見えたのは珍しい」と
私たちは運がいい、と言ってくれる。

蔵王をあとに
次に向かったのは、
芭蕉の(奥の細道)で有名な「山寺・立石寺」。

入り口近くのお土産屋ふもとやの駐車場にバスを停めて
百段ほど昇った所が受付で
奥の院は
さらに千段ほど登った所にある、という。





芭蕉翁
芭蕉翁の碑





私は、百段登っただけで
,心臓が踊る感じがしたので、諦めて
そのまま下りて、
みんなが降りてくるまで、(ふもとや)でサクランボアイスを食べたりして
時を過ごした。

降りてきたみんなは
汗みずく、汗だくだく、  狭心症もやっている私には
昇らなかったのは正解だったと思う。

みんな揃ったところで
一路ホテルに向かう。
又、遠路、表磐梯まで南下していたら
ホテルに着いたのは七時前。

七時10分から夕食で
風呂に入る間がなく、夕食に入る。

鶴ヶ城、蔵王のお釜、と
嬉しい観光地巡り、だったが
走行距離が長く慌しかった。

が、とにかく
「蔵王のお釜」が見られたのは、幸運だった。




南東北 紀行 ①

私は今年、満77歳になった。
喜寿と言う節目らしい。

自分ではその気がないが、やはり年は重ねているらしい。
お目出たい、ということで
子供がお祝いに、と
旅行をプレゼントしてくれた。

そこで神さん、
色々検討して、ある旅行社の
「南東北ベストハイライト」を計画してくれた。

今まで、色々な所に行ったが
東北のこの地は初めてなので、五月から楽しみにしていた。

集合が大阪駅で
朝が早い。

で、前の日に姫路に帰って
13日早く出て、姫新線、新快速と乗り継ぎ
新大阪8時44分のサンダーバードで同行の方々と合流、

一路、東北へ。

サンダーバードの終点金沢から
北陸新幹線で上越妙高まで。

ここから、角さん創設の
(越後交通)の観光バスで本格的な観光が始まった。

と言っても、この日は
ここまで来ただけで大仕事、
(五色沼)を見ただけで、あとは宿入りになった。





五色沼





(五色沼)、
途中、道の駅で貰った地図を見ても
どこにもない。

ガイドさんの説明によると
明治時代、磐梯山が噴火した時にできた沢山の沼が、見る時や天気の加減で
色々に見える、
ということで付いた名称で、
沼固有の名前ではないという、 探してもなかったはずだ。

なんでも、
見物に行った沼には、
背中に赤いハートマークのある白い鯉が
一匹居て
近年、デートスポットとかで

その鯉を見ると幸せになると
沢山の人が沼の近くまで行って探していたが

私は、今、充分幸せなので
行かなかった。

そのあと、爆裂火口が口を開けているすぐ前のホテル
「裏磐梯レイクリゾート」に着いた。





裏磐梯

裏磐梯 爆裂火口





裏磐梯レイクリゾート
裏磐梯レイクリゾート





このホテルは、
とにかく大きくて部屋もゆったり、
迷子になりそうなくらい広くて、行き届いた良いホテルで、

飲んだお酒は
さすが、酒どころの会津物、
大変美味しくて、沢山いただいた。

部屋に帰ると、 バタン、で
気がついたら朝になっていた。




都議選に思う

自民党の大敗で終わった都議選、
何だかホッとした。

このところの自民党、
全くの、驕りと傲慢さが目立っていた。

国会の答弁でも、甞めた態度で
まともに応えず
自分たちを批判する者は無視をする。

挙句の果てには国を私物化して
首相夫婦が、おともだちに
(激安特価)で国有地を売ってしまう、ということまでした。

何よりも恐ろしいと思ったのは、わが国を戦争をする国に変えよう、としていたこと。

今回の都議選は
それに、見事なタイミングでお灸を据えてくれた。

それにしても、小池さんの人気は凄い。
先の大阪の
橋下さんを思わせる危惧は
大丈夫か。

もう一つ嬉しかったのは共産党、
前回倍増したので、
今回は、と思ってみていたが
さらに伸ばした。

世の中、少しずつ変わっているのか。


屋根の修理

二階の屋根の漆喰が
剥がれてきた。
ここは寒冷地、
寒さに耐え切れなかったらしい。

13年前、家をリフォームした時、
加古川の屋根やさんが葺いてくださったものだが
この辺の条件が十分に分からず

葺いたので、寒さに耐えられなかった。
その上、昨年の鳥取地震で
この辺りも、だいぶ揺れたが、

その影響か
瓦も割れていると言う。





屋根直し
四人がかり。





屋根修理終了
保繕 終了





幸い、屋根を葺いたあと
余った瓦を
裏にいくらか残していたので
割れた瓦はそれを使ってもらった。

先日、私も屋根に上がってみたが、漆喰の剥がれは分かったものの
瓦の割れまではわからなかった。
さすが本職!  脱帽した。

始めは一日で終わる予定が
明日も掛かるとかで、大仕事になった。





姉の訃報

15日早朝、
愛媛の故郷から訃報が届いた。 
二番めの姉が亡くなったと、  88歳。

16日通夜で、17日葬式だという。

私は、16日の朝発った。
出かける前に、
田んぼや果樹園を見回って、7時過ぎに出発した。

何時もと違って
心は弾まない。
長い道中、今までの姉とのことが去来する。

私は早くに母が亡くなったので
近くに嫁いだこの姉が
何かと母代わりの面倒を見、世話をしてくれたので
その
思い出が一層深くなる。

何時ものように
三番目の姉の所に着いて、世話になる。
この姉も、もう随分と歳だが
いつも優しく、良く世話をしてくれる。

以前は、葬式を家でしていたので
隣保の人たちは、その準備で忙しかったものだが、、

今は、田舎でも葬儀場で行うので
時間になったら、そちらに行けばいい。

通夜、早めに行くと
もう沢山な人が来ている。
本当に久しぶりの人が、沢山いるが、懐かしくても話は弾まない。
姉には孫や曾孫が沢山居て
私には、
誰が誰だか分からなかった。

長らく患っていたので
本人は楽になれたが、 それでも残されたものは
悲しい、
と言うか寂しい。

周りの景色はいつもと変わらないのに
なぜか、違って見える気がする。
不思議だった。


やっと タイヤ交換

今年は交換が遅れて
昨日まで冬用タイヤをつけたままだった。

と云うのも
4月に換えるつもりにしていたら
一時期、寒波が来て
高速の表示に、冬用タイヤ着用と出ていたので

まだいいか、と思っていたら
田植えで忙しくて、今日になってしまった。  トホ、

交換は
姫路の家の近くの
西播ホープ自動車でサービスでしてもらう。

こののサービス屋さんとは、かれこれ50年の付き合いで
いつもよくしてもらう。

先代の社長は亡くなったが
二人の息子さんが継いでいて
いつも気持ちよく、サービスしてくれる。

先代の奥さんも、時折り店にいて
今日もちょうど居られて、話が出来た。
何と、曾孫が三人いる、とか。

大原に帰ってきたら昼すぎで
まだ日は高かったが

一仕事終わった!
と思ったら疲れを覚えたようで、
あとはゴロゴロして過ごした。


種子法改変について

読者の方から
種子法が改正されたが、
それについて記事にして欲しい、と言う要望があった。

恥ずかしながら
この改正された種子法について
詳しくは解らない。

が、今までにも
アメリカ辺りから、盛んにこの件を要望されてきていたが、
この度、
政界の大きな問題の陰に隠れて
いつの間にやら改正された、と思われる。

と言うのも、
日本では、色々な経路で
外国から植物が入ってきて帰化し、
元来からある植物が駆逐されてきていた。

そのことが問題になっていたが
特に、遺伝子組み換え植物については
未だ人体に
どんな影響があるか分からず禁止してきたものが
従来から
アメリカの圧力によって
輸入解禁を迫られていた経緯があり

こんなことから
今回禁止を解除したのだと思う。

遺伝子組み換えの作物が大量に入ってくるだけでも
日本の農家は大変なのに
その上に
人体にどんな影響があるのかわからない植物の輸入を解禁するのは
どうにも早過ぎると思うが、、

何しろ、首相の安倍さん、
アメリカには弱いから、
まあ、こんなことになってしまったのでしょう。

今後、私も気をつけて
詳しく解れば、その時に正確な情報をアップします。


またまた安倍さん、、

二昔も前になるか、

総理大臣の刎頚の友に
便宜を図って大問題になった事件があった。

今度の事件は
総理の腹心の友とかに
これまた、大変な便宜を図った、という事件。
以前のは、総理と刎頚の友、だったが

今回はその前に
奥さんの知り合いさんにも
多大な便宜を図って
国有地を、
無っ茶苦っ茶安く分け与えた後に、
今度は主人が
腹心のお友だちに同様のことを、 のよう。

私には、(刎頚の友と腹心の友)、
の違いがよく分からないが
どちらも仲のよい友だちのようだが、どうだろう。

夫婦して
(仲のよいお友だち)に
国有地を安く分け与えてもらっては
国民は
たまったものではない。
お隣の国でも似たようなことがあったが
大統領は、罷免された。 

それに比べたら
日本人はみんな、人がいいな。



戻りたくない道

国会で
共謀罪が強行採決されようとしている。

今までにも、
平和憲法をないがしろにする法律は何本か強行採決で通されているが
憲法にまでは手が出せなかった。

歴代の政府も、
あいまいにしながらも
平和憲法については手が出せなかった。

 ところが、
安倍さんになってから
急に、この平和憲法に手を付け出した。

今、北朝鮮がどうのこうの、
と言っているが、
かつての日本も同じことをして、  そしてあの悲惨な戦争へ突き進んでしまった。

 思い出しても身震いがするほどの
あの悲惨な戦争、
二度と経験したくないので
今の平和憲法が出来た時は、国中が喜びに沸いたものだ。

しかし
その悲惨な戦後を知らない人が大半になると

漫画ではないが、
敵を懲らしめる軍人の、
忠誠心などをかっこいい、と勘違いして
その下には塗炭の苦しみを蒙る人たちがいるのに、、 なあ。

今、中東やアフリカの一部の国の人々、
今はみんな、勝つことばかり信じているが
一旦、戦争が始まれば
負ける立場に立つこともあるのだ。

安倍さん、
おじいさんの果たせなかった夢のために
頑張っているが
その巻き添えにはされたくない。

今までの七十年間、
平和憲法と国民の頑張りで、
一度も戦さが無く過ごせたのに
何をいまさら戦さの準備なんて、、

 あの悲惨な目に遭わされるのは
ニ度とご免蒙りたい。



平和憲法が危ない

安倍首相が
オリンピックまでに憲法を変えたいと言う。

前々から変えるとは言っていたが
具体的に期日に言及したのは
初めてだ。
私は、いよいよ来るところまで来たか、
と、いう気がする。

戦後70年余り、
 ①  戦争をしないで平和に過ごせたのも、
 ②  戦争にお金を使わなくて産業が発展したのも、

みんな平和憲法のお陰だった、
と私は思っている。

当欄でも、何度か書いたが、
幼児の頃、先の戦争がそれはそれは悲惨な状態で終わった。

このことは、漫画(ホタルの墓)や(ハダシのゲン)で
少しは顕わされているが、実際はもっともっと惨めなものであった。
最良質の漫画であっても
その時の切実さを顕わすことは出来るものではない。

だから私は
平和憲法が出来た時、
曇った空がいっぺんに晴れ渡ったように思って嬉しかったものだ。
すぐに改憲の動きも出てきたが
公にはされなかった。

三島由紀夫が、
自衛隊で割腹自殺をしたときも、
犬死にだった。

自民党の人達も、
改憲を出しかけては引っ込め出しかけては引っ込めして
世論の様子を見ていたが
出し切れるものではなかった。

そこへ安倍さん、
あの悲惨な戦争を全然知らないこの人が
戦後70年を過ぎて、もういい、と思ったのか
とんでもない事を、
次々と打ち出してくる。

そして今回、遂に期日まで切って
改憲すると、、   怖いことになってきた。

私は
ホタルの墓やハダシのゲンの世界は
二度と歩みたくはない。


砂の美術館

今日は朝から雨、
昼前に神さんが来た。

前から約束していた
鳥取砂丘にある砂の美術館に行く。

途中で昼食を取り砂丘へ。
今回は (砂で世界旅行・アメリカ編)。
砂丘に着くと
雨は降っていたが、まだ大した雨ではなかった。

建物の周りは、前回来た時よりきれいに整備されていた。
雨にもかかわらず、沢山の人が訪れていて
外国の人も沢山。 

中に入ると、
正面にナイヤガラを模した建物いっぱいの滝がある。
その上には初代大統領ワシントンと何人かの人物の顔。
下にはデラウェア川を渡るワシントンの像。




ワシントン




その脇には
ニューヨークの摩天楼、等等、
19の作品が飾られていて
毎度のことながらその見事さに目が奪われてしまう。




自由の女神とあ
ニューヨークの摩天楼




アメリカのスポーツ
アメリカのスポーツ




とあ①映画
アメリカの映画  




奴隷解放の父、リンカーン
奴隷解放の父、リンカーン




世界の砂像作家19人が
腕をふるって、見事な砂像美は圧巻のひとこと。
今回はいつにもまして
迫力があった。

開館は二日前の15日で
来年の1月3日までの長期開催である。

今年の2月、
香川の銭型砂像を見た。
これはこれでよかったが、スケールが違いすぎる。

皆さんも
鑑賞されてはいかがでしょう。



真央ちゃんの陰に隠れて

浅田真央ちゃんが引退した。

華麗なスケートを見せていただけに
残念だが
大方の気持は仕方がないな、というものだろう。




まおちゃん




まおちゃん




今日のニュースは
これでもちきり、 しかし私は気になる。
森友学園の問題、
うやむやにならないか、

私たちが交通違反をすると、
有無を言わさず罰金を取られる、
極めつけは、ネズミ捕り、
隠れていて
違反するのを待って罰金を取る、という汚いやり方。

表に出て
指導するならよいが
陰から出てきて捕まえようとするのはきたない。

一方、首相夫人が名誉校長を務める所には八億円も負ける、
と言うのは、何ぼなんでもやりすぎで、
こんな勝手放題をやられては
国民はたまらない。

今日は、ニュースが、
真央ちゃんの引退話でいっぱい、

人気は分かる、
が、真央ちゃん、隠れ蓑に使われてる、、、、、


新しい先生

新しい先生、
と言っても、学校の先生ではない、
病院の先生。

お世話になっていた,佐藤先生が替わられて
四月から新しい先生になった。
ドコからこられたのか聞いたら、岡山大学です、と言われた。

マスクをしておられたので
顔はよく見えなかったが、、、
又、2~3年お世話にならなければならない。
患者も、先月よりは多くなっていた。

今朝も6時半過ぎに
順番取りに行ったら6番目だった。

8時半に受付が始まる、
時間があるので、ベッドで横になっていたら
うたた寝してしまって
気がついたら8時半過ぎで

慌てて行ったら
受付が始まっていて、
順番取りが無駄になった。
でも、こちらのミスなのでおとなしく待って、帰ってきた。

帰ると、今にも降りそうだったので
横になったら、又眠っていた。

目が覚めると、
天気はよくなっていたが
気温は低く、そのまま家の中で過ごす。

今日はスーパーも休み。
なので私も休み、  それはないか。

大丈夫か日本。

先の戦争で
ひどい目にあったこの国の人たち。

二度と、あの悲惨な状態にならないように、
と、憲法で平和宣言をして復興に頑張ってきた。

きみまろさんではないが、
あれから70年♪ あれから70年♪、

今では、殆どが
あの悲惨さを経験していない人たちばかり。
(平和ボケ)と言う言葉まで生まれた。

以前は、口が裂けても言えなかった戦争の準備が
ぞろ口にされ始め、外国に行って戦うことまで始めた。
と言っても
表向きは『平和のため』

極め付きは、
公明党の武村さん、イラクに行った時、
自分は防弾チョッキに身を固めて
(非常に安全であった)と言って、その後自衛隊を派遣した。

そして今回、
派遣した自衛隊が戦争様態に巻き込まれたら、その報告を破棄した、
と国会でウソの答弁、
示しがつかなくなったら
報告があったの無かったの、と右往左往して、
  
そして今回、又、出てきた(凶暴罪)、
戦前によく似てきた。

次に出てくるのはさて、何だろう。
そういえば、今、自衛隊の募集に人が中々集まらない、とか。

この次かその次に出てくるのは
教育勅語もどきのもので、 
その次が「徴兵制」、

こうなったら、
さぞ暗い世の中になるだろうが、、、  大丈夫か日本。


照ノ富士

大相撲が終わった。

稀勢の里が優勝したが
照ノ富士も角番を13勝と頑張った。

しかし、関脇に落ちて
10番勝って復帰を目指す琴将菊との1番で
あの変わり身はいただけなかった。




照の富士⑤




私は琴将菊の復帰を願っていたから
特にそう感じたのだろうが、あの変化はどうか。

かつて、名横綱と言われた若乃花(二代目)が
武蔵丸との一番に
「変わり身を打てば絶対勝てると思ったが、横綱だから真っ向勝負にいった」
と、語っていたのを思い出す。

身体の小さい二代目若乃花は
48手の相撲技を駆使して勝ち進み、横綱になった人だ。
その人が、横綱になったとたん、真っ向勝負に行ったのである。
その意気やよし。

私はこの時、
相撲の厳しさを
つくづくと思い知ったものだ。
そんな気で
今回の照ノ富士と琴将菊戦を見た。

照ノ富士は角番を脱しており、
琴将菊は、もう一番も負けられない状態の一番で、

それが
照ノ富士の変わり身で
あっけなく終わった。

遠藤との一番で磐石の強さを見せた照の富士と、
この一番に力を出し切ろうとした琴将菊との
(圧巻の一番)を期待していただけに

あっけなく終わった相撲に
空しさを覚えた。

勝っても負けてもいい、
ガップリ勝負をして欲しかった。


「森友疑惑」

先般から、
毎日、テレビで取り上げられている
森友学園の疑惑。
安倍総理夫人の国会喚問が問題になっている。

総理としては、
夫人が証人として召ばれて
色々な角度から追求されるのは
堪らないだろうが、




安倍夫人




何しろ、疑惑の学校の
名誉校長になっていたのだから。
笑顔の顔写真まで飾られていたのを、
疑惑がおきると
慌てて取り外しても、載っていた事実は消えない。

ここはやっぱり
みんなの前ではっきりしてもらいたい。
今も、あちこちで講演をされているようだが、

何しろ、
なけなしの収入から
高い税金を払ってきた国民の財産が、
ただ同然に、払い下げられていたのだから。

昭恵夫人が
泣きを見られても
ここは、はっきりさせていただきたい、と思う。

八丈島紀行 ⑥

三日目、お昼は
郷土料理の昼食。





飛魚の姿作り
飛び魚の姿造り、むこうに明日葉の天ぷら




新鮮な飛び魚の姿造りと
明日葉の天ぷらで
今日こそ、と食事前にカメラ。
食事後、大将に聞いたら
毎日の食材の確保が大変、と難しい顔を見せた。

集合まで
テレビの前に座っていたら
渡瀬恒彦さんの訃報が流れ、若いのになあ、とビックリする。

最後は
(くさや)の加工場に行った。
試食をしたが、くさくてコレは馴染めない。
グループの誰も買った様子はなかった。

その後、八丈島空港へ。
飛行機に乗れば、もう帰ったも同じ。
アッという間に羽田へ。
ここで添乗員と別れて、伊丹行きの飛行機へ。

今回の八丈島の旅、
2日目、異常気象に遭遇して寒かったが
原生林ウォークなど
普段では出来ない体験があったし
いろいろな見学、見物も豊富にあった。
が、しかし、
なんといっても
魚の美味しさを改めて認識した。

また、いい所を探して行きたいもの、  それまで頑張ろう!   (終了します)




コンパクト
神さんが求めた黄八丈のコンパクト





八丈島紀行 ⑤

3日目(16日)は
予報では暖かくなるはずだったが
あんまり代わり映えせず、

雨でなかったら良し、と
始めの観光地へ。

まず、海岸に溶岩がせり出した
「南原千畳敷海岸」に行く。





日本のハワイ①
向こうは八丈小島




日本のハワイ②
溶岩に砕ける波




千畳敷
この人、誰、  神さんかもしれない




ここには、宇喜田秀家と豪姫の石像もあった。
関が原の戦いに敗れた秀家が



宇喜田秀家



豪姫とともに
八丈島に流されて、豪姫はすぐに加賀に帰ったが
秀家は一生ここで暮らし、80余歳で没した。

その罪が許されたのは
明治の代になってからで、平成になって石像も建てられた由。
ふたりの像の向く先が
(はるかに遠い領地、美作)とは、
ホロリとした。

その後、
陣屋屋敷の玉石垣や
黄八丈のお頭の「服部屋敷跡」を見学。



黄八丈染め元
黄八丈工房




玉石垣
流人が積んだ玉石垣




の実服部屋敷のそてつ
服部屋敷跡のソテツの実




かみさんはここで黄八丈の「コンパクト」を買い、私は
樫立踊りに飛び入り参加した。

陣屋屋敷の
海岸に打ち寄せられ波にもまれてマールくなった玉石垣は
流人たちが運んで積んだもの。
海岸からこの地まで運んで
報酬は(おにぎり1個)、
それでも
米のおにぎりは
何物にも換え難い嬉しいものだったのだろう。  (続けます)



八丈島紀行 ④   

2日目はとにかく寒かった。

バスから降りて
すぐ風呂に入って温まって6時から夕食。
昨夜は他の団体が沢山居て賑やかだったが
この夜は
私たちの団体だけで、その分サービスも行き届く。

料理も、これまた島の産物、
とても豪華な料理で
大きな「金目鯛」の煮付けが副菜で出てきたのにはびっくり。
薄味で炊いてあり
金目の煮つけは甘辛い、の先入観がひっくり返った。

「島には沢山の美味しい焼酎があるから飲み比べてみてください」
と言うことだったが、
焼酎をそんなに飲んだら、酒の弱い(?)私など
すぐに潰れるので

最初に一杯戴いて、
その後は福島の冷酒を頼んだ。
これが又美味しく、
島の魚と良く合って
本当に今回の旅の魚は美味しかった。

お腹も空いて
すぐに箸を付けたので
気がついたら写真がなかった、  残念至極!
金目の写真、 撮りたかった!

満足して部屋に帰ると
布団は昨日のままで、バタンと眠り込んだ。  (続けます)



八丈島紀行 ③

登龍峠展望台を後に
次は楽しみな昼食へ。

メニューは「島寿司」で、
島で獲れた魚を使った名物で、新鮮なネタを味わう。



島寿司
これは美味しかった。



次は民族資料館に。
ここは案内人の方がおられ、説明して下さる。

私が子供の頃
使っていたような農具や、
流人の人たちが使っていた生活用品など、
島の人たちの
生活や歴史を物語る資料が展示されていて
往時を偲ばせるものだった。

島は良く雨が降るとかで
朝はまあまあの天気だったものが
昼過ぎから
雲が出てきたと思ったら
急に降り出したり、そうかと思ったら晴れたり、と目まぐるしく変化する。
途中でアラレも降ってきて
何と、少し積もった。
八丈島で、アラレとは!

次に訪ねたのが「明日葉(あしたば)工場」、
島の名物にするため、
盛んに取り組んでいるもようで
ホテルの料理にも
必ず出てくる野菜で、
私たちもみんな、種の配布に与かった。

つぎに都立八丈植物公園、
寒いので、中は暖かいかと期待したが
それはなくて、
外と違って風が当たらないのが救いだった。
珍しい植物もあったが




植物園




ホテルに着いたころには
忘れてしまっていた。

次に行ったふれあい牧場は
アラレで、白くなっていた。

今日は、
景色は素晴らしかったが、
何しろ、異常気象のおかげで寒く
ソコソコにバスに戻っても暖房はなく、ホテルまで我慢の子で、

この天候には、
八丈島の人たちも驚かれたと思うが
私たちはそれ以上に驚いた。

連泊のホテルに戻るや否や
大浴場に飛び込んで人心地ついたが。  (続けます)




八丈島紀行 ②

2日目、
気温が低くて
ムチャクチャ寒い。

予報は全国的に雨や風で
この日の羽田からの八丈島向け第1便は飛ばず、船も欠航。
そんな中を、
昨日八丈島に来れただけでも運が良い。

朝、バスに乗る時
ホテルのすぐ後ろに八丈富士が迫って見えた。
島のバスガイドさんも同行する。




ホテルから八丈富士
八丈ビューホテル、上には八丈富士が。




向かったのは
“ジュラ”の森、原生林ウォーク。
バスから降りて、森の中を2キロ歩く。




原生林①



ほんとに恐竜が出て来そう。



原生林②




前の日は雨で入れなかったそうで、
入れただけでも運がいい。
道は山道で細く、舗装などとんでもない、
しかも雨のあとでぬかるんで、歩き難かったが、

亜熱帯特有のヘゴの木やしだが
いっぱいに茂っていて、
異様な雰囲気を醸しだしていた。




原生林③



うわッ、出てきた。



原生林④




専門ガイドの説明を聞きながら1時間ほど歩いた。

次は八丈八景の一つ、名古の展望台へ。
ここからは、太平洋の荒波が手に取るように見えた。
この日は風が強く、
大きな波が岸辺に打ち寄せるさまは壮観そのもの。




逃げられない
これでは罪人さんも島抜けはムリ。
八丈島はどこもこんな感じの断崖がつづく。




つぎに行ったのが、登龍(のぼりょう)峠展望台、
途中の道路の山側には
大きなオスとメスの龍がタイルで描かれ、
メスの爪は赤かった。

ここの展望台からの眺めも
素晴らしく、
寒さに難渋しながらも堪能する。   (続けます)



八丈島へ ①  

14日から
2泊3日のツアーに参加。
行く先は八丈島。

キャンセルがあって
参加が可能になった貴重な旅で

前日から姫路に帰り
14日朝、空港リムジンで大阪空港まで。
そこから羽田まで行って
乗り換えて八丈島へ。




八丈島空港①




伊丹から羽田まで、
羽田から八丈島まで、いずれも1時間ソコソコで着いた。
羽田空港には
来日中のサウジアラビアの飛行機が
何機も羽を休めていた。

私は
八丈島は、
もっと南に位置している、と思っていたが
緯度で見ると四国の高知の足摺岬くらい、
と聞いて、認識を改めた。

着いたら夕方で
ホテルに着くと、お風呂に入って夕食を頂くだけ。
部屋は3階だった。

このホテル、
3階建てで、エレベーターが無く
全て階段で昇降する。
ホテルの言い分は、地震や噴火が起こると危険だから、とのことだが
何回か昇り降りをしていると、
危険でも
エレベーターがあった方がいい、  年寄りには堪える。
地下の大浴場も、階段だった。

夕食は、
島で獲れた魚や野菜が材料で、
最初、口にあわないのでは、
と危惧したが
地元の素材を活かして、美味しくたっぷりの量で満足した。

思うに、
東京から遠く離れて
島で取れるものでしか、料理が出来ないのではないか。

頂いたお酒が回って
部屋に帰るとすぐ寝てしまったが、
布団敷きはセルフだった。     (続けます)



今日も施肥

今日も又、
ニンニクのマルチのため
牛糞を買いに牧場まで走る。  

牧場には
他に2組が来ていた。
今の時期は、夏野菜の準備でみんな忙しい。

ニンニクは2畝、
たっぷりとマルチをしてやると
雪で押し下げられていたニンニクが、とたんに元気になったように思える。
そのあと、ソラマメにもマルチをする。

ソラマメは、
あんまり肥やしをやると
莢ばっかり大きくなって、実がつかない。

だが、どれくらい実がつくか
試しにやってみる、
これが道楽農業のいいところで
出来なかったらそれまで、
以後の参考になる。

牛糞が残ったので
みかんの木にも施肥をする。
昨冬は寒冷に耐えた蜜柑、
今冬は、大雪と寒さでだいぶ弱った。

この分では、壊滅かもしれない。
持ち直したら嬉しいが、、、  どうも駄目そうだ。


3人、桜咲く

今年は
3人の孫が大学受験で、
2人は決まったが、1人結果がまだだった。

私としては、何もしてやれないが
氣だけは人一倍、揉む。

勝手なことに
3/2なら上等上等、などと
娘が聞いたら気を悪くするようなことを思ったり、

まだまだ大丈夫、とお気楽に考えたり、、、とにかく色々な考えが浮かぶ。

残った孫からすれば
すべてが自分なので、
3/2などと思われてはたまらない。
そんな訳で
孫を思うと、気持が閉じていた。

今日は朝から雪で、
することがないので、ベッドでテレビを見ていると
電話が鳴った。

出ると娘からで、開口一番
「通ったよ」

私はいっぺんに身体が軽くなった。
外の雪もやんだ。     さあ、、これから春、

私も、孫たちに負けていられない。


美作市立大原病院

今日は病院に行く日だった。

このところ、
患者さんが少なくて
順番取りもどうしようか、と思ったが、
目が覚めたので
6時半を過ぎて行った。

私の前にはだれも来ていない。
当地は田舎なので
先生も次々と変わり、大体2~3年で交代される。

私の主治医も
今で二人目だが、4月に変わられるようなので
聞いてみたら、
やはりそうだ、とのこと。

院長以外は、通いの先生か
初めての方が赴任される。
建物は立派だが、今の時期、中はがらんとしている。

来た当座は
姫路に行っていたが、
通院には遠いので、今はこの美作市立大原病院にお世話になっているが

今の先生は3年目で
ソロソロと思っていたら、予感は当たった。

そんなことも反映してか
はたまた寒いからか
とにかく今の時期、めっきり患者さんが少ない。

成り立つのか、
と心配になるが
都会の混雑した病院を思うと、、

これはこれで極楽かもしれない。




大原病院②



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プロフィール

Author:松本直美
定年後、岡山・美作で農業を始めて18年。
米作りだけでなく、野菜や花、
果樹、造園についても書いていきます。
造園技能士一級の資格を持っています。

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