タイヤ交換

つい先日も、
高速道路の入口に
冬用タイヤ着装の看板が
まだ外されず、出ているのを見たが

冬用タイヤをつけている私は
横目で見ながら、
通りすぎたものだ。

さすがに今朝は
もう、要らないだろうと交換に出かけた。
交換は、姫路のサービス店に行っている。

途中、いつものワラビ狩りの場所があるので、寄ってみよう、と
少し早く出かけた。
ワラビはまだOKでソコソコ採れた。

姫路に着いたら七時半で
まだ店は開いていないだろうと
家で少し休んで
出かける。





タイヤ交換





着くと丁度、開いた所で
すぐに取替えにかかってくれ
瞬く間に終わったので、そのまま真っ直ぐ帰宅した。

着いたら11時頃で、

午後は、二番鍬の残りを鋤こうと
1時すぎまで休んだ。

お陰で、
思うように動ける今、 
ありがたいと思う。





書き換えは忖度か

昨年、2月から
国会で答弁していた
佐川理財局長が辞任した。





とかげ③





報道では
近畿財務局の方が自殺したのが
ゲンインらしい。

その方は、非常に真面目で実直な方だというが
直接、書き換えに参加されていたようで
国会で大問題になり
悩んでいたとか。

痛ましいが、
やらせた人は いけシャーシャーとしている。
そして又
直接の上司は辞めたが、
その上の大臣は
まるで他人事を装ってのうのうとしている、 なんともやりきれない。

が、この田舎で
いくら歯軋りしたところで、、、

安倍さんになって
憲法を改正する動きが加速してきたが、
このことにしても、、
国会議員の入れ替えをした方が
国のためにはいいかも、、

あーあ、
亡くなった方は、
悲しいけれど、
トカゲの尻尾切りになってしまった。





とかげ④






石綿健診

今日は、
年二回の石綿被害の健診のため
姫路に行く。

石綿健診は昼からだったが
その前に、兵庫県が行っている高齢者健診を近医で受けるので
朝早く出る、 六時、

まだ辺りは暗いが
準備をして車まで行くと、
何時もの事だが、ガラスが曇っている。
今朝のは、なかなかにしつこい。

中に入り、湯で雑巾をぬらして拭いたが
十分ほどかかった。
辺りが少し明るくなってくる。

姫路に着くと、神さんが
少しよくなったといって、色々準備をしてくれている。
午前の健診は、すぐに終わった。

朝食を抜いていたので
朝昼兼用の食事を済ませて
午後は、石綿健診に行く。

姫路医師会館で受診するが
改築が完成したのか、キレイになっている。





姫路医師会館
姫路医師会館





手順も手際よく
無駄なく進む。





アスベスト①
アスベスト





一時間ほどで終わった。
大原に帰ってきたら 三時。
今日も大仕事が終わった。

アスベスト健診、
次は半年後。





髭をそった 先生

今日は月/1の通院日。

何時ものように
朝イチに順番を取りにいく。
今朝は
外に出てみると窓が凍っており

その対策をしていたら
少し遅くなって
病院には 六時35分を過ぎた頃になった。
先に来ている人は三人だけで
私は四番め。

行く前に風呂を沸かして行ったら
帰ってみると
丁度頃合になっていた。

風呂に入って
朝食洗濯を済ませたら、病院の受付時間が近くなる。
慌てて病院に行くと、始まる少し前で

今日は男の看護師さんで、
採血する時も痛くない。
看護師さんになるような人だから、見るからにやさしそうだ。

暫らくして呼ばれ
中に入ると
今までアゴに髭を生やしていた先生が
キレイに剃られている、
髭があったときは、強面の感じだったが

髭をそったら
優しそうな若者の感じがする。

先生、ヒゲ、剃られたたんですか、
と聞くと

照れたように笑って
何も言われなかった。





知人の訃報

今朝、
たまたま
「みまちゃんネル」を見ていたら
神吉八郎さんの訃報が出た。

神吉さんは
私がここに来て間もない頃
「農業センター」に仕事を世話してくださった方。

センターには五、六年行ったが
神吉さんも
そのうちセンターを止められて
今は
イチゴの育苗が専門であった。

その折、
ブログにも書いたが
親苗の土を頂いたこともある。

その間、
神吉さんには、
農業のイロハから
地元大原のさまざまなことを
手取り足取り
色々と教えていただいた。

ここ2、3年は出会う機会がなかったので、訃報に出会いびっくり。

年は、私よりだいぶ若くて63歳、
まだまだ働き盛りなのに、残念である。

今からの大原を、
背負って立つ一人だと思っていただけに、ガックリきた。

何もないところから立ち上げ
販売先を開拓して
大原での雇用にも少なからず貢献されていたのに
誠に惜しい人がなくなった。

もう
悔やんでも仕方がない、
神吉さん、安らかに眠ってください、

南無阿弥陀仏。




雪の通院日

今日は月一の通院日。

心電図とレントゲンを撮るので
朝食は抜いて来るように、
と言われて、食べずに行った。

六時半に順番取りに行ったら
六時半を回っていたのに
私の番は二番、

八時半前に行くと、待っている人は一人だけ。

これで経営が成り立つのか、
と要らぬ心配をしていたら
チラホラと、患者さんが来始めたが、 何時もよりは少ない。

外来処置室で待っていると
名前を呼ばれた、 男の看護師さん、
物腰は柔らかいが
どこか頼りない気がする。

朝ごはんは何時でしたか、と、聞いてくるので、
食べていません、 と言うと
心電図などの検査があるので、空腹ですね、
と言う。

分かっているなら、尋ね方があるだろう、
と思ったが、言わなかった。
雪のせいか
帰るまで、患者さんは少なかった。

帰る頃になると、雨になった。
帰ると、一歩も出ずに過ごす。
気温は低い。

どうか雪が降りませんように。




術後はOK、と。

心臓の手術を受けて
一月半経った。

日常の経過管理は
大原病院に移っているが
今日は、執刀してくださった田内Drの診察を受けるため
網干のツカザキ病院に行った。





ツカザキ
病院北側




ツカザキ③
病院東南側





十時の予約だったが
早めに行く。
行くと、レントゲンや心電図の検査はすぐで
その分、診察も早くて、
総じて早く済んだ。

先生は
心電図やレントゲンを見ながら
「順調ですよ」、と笑顔でひとこと、  一安心!

生活の中でリハビリが出来るのだから、頑張ってください、とも言ってくださった。
それを聞いた私は
嬉しくて
身体が軽くなった。

帰りは懐かしい広畑で、
量販店「ムサシ」に寄って買物、
そのあとムサシの横にある(魚ベい)で食事をして帰った。

私はそのまま
大原に帰ってきたが
一週間ぶりの大原は、 やっぱり寒いし
雪も残っている。

明日から、叉冬籠り、
春が待ち通しい。





70年前は、日本も

今日、雨で何も出来ず
テレビを見ていた。

すると、昨年行った
奄美大島のことをやっている。
おばあさんが
戦後、奄美大島は、
沖縄と同じように、アメリカの占領統治になっていた、と。

食料は配給だったが足りず
みんな、いつも
お腹を空すかせていて、
毒があると言われるソテツの実を、小さく砕いて一晩水につけて晒し
毒を抜いて食べて飢えを凌いでいた、と。

もう一人のおばあさんは
12歳の時、
黒糖を持って船に乗り、
一の島に行って四日かかって食べ物と交換して帰り

家について、疲れて眠りこんだが、
目が覚めたらお母さんに
このたびの事は
死ぬまでだれにも話さないように、 と言われトラウマになっていた、が

戦後だいぶ経って
やっと気持が楽になった、と話しておられた。

これを聞いて
私も、子供の頃、
田んぼの畦を、
食べられる草を探して
歩いていた人がいたのを思い出して、涙が出た。

今、日本海沿いに
北朝鮮の木造船が
たびたび漂着し
乗組員の死体も上がっている、という。

聞くに堪えないが
何とかならないものか、

今の北朝鮮の状態、
70年前の日本の悲惨さと、
だぶるような気がして、

戦争はダメだ、
とつくづく思うが
防衛予算が、叉増やされる、という。



城崎温泉行、②

昨夜八時に寝てしまい
今日は二時に眼が覚めた。

中は暖房しているので
気がつかないが
外を見ると雪が降っている。
それも半端な降りではなく、積もっている、 ああやっぱりな。





城崎②
部屋のすぐ前、 山麓に円山川が見える。





四時過ぎからホテルでは
周りの雪搔きが始まった。
私は
帰りが心配になったが、 とりあえず朝風呂に浸かる。

もう何人か入っているが、
早いので、だれも無口、
風呂から上がり
外を見ると、雪はしんしんと降り続いている。

ゆっくり朝食をとって
サテ帰ろうか、 になっても雪は降り続いている。
ホテルには
雪ブラシ貸します、とあったが

何のことか解らず
Pまで行くと、20センチほどの雪が積もっている。
そこで(雪ブラシ)の意味が解った。






城崎③






城崎④






神さんが引き返して
それを借りてきたので
それで車の雪を落として、 何とか道路まで出ることができた。
雪は降り続いている。

帰りは南にとって
姫路まで出るか、来た道を帰るか、 で迷ったが
空が明るくなってきたので、
鳥取の方を回ることにした。

ところが、途中、道に雪が残っていて
こわごわ走る。
ときおり神さん、怖さのあまりか奇声を発する。
その声の方に
私は怖さを感じるので、 出さないように言っても聞かない。
よほど怖かったのだろう。

日本海の見える所にくると
波は昨日と比べると、小さくなっている、
でも、 瀬戸内ではとても見ることが出来ないほどの波が立っている。

鳥取県に入ると
雪はぐんと少なくなって、鳥取市を出ると殆ど消えていて
大原に着くと、降ったんだな、と言う状態だった。

テレビをつけると
日本海側では猛吹雪になっている、
と言っている。

その中をくぐり抜けてきたか
と思うと、感慨ひとしおのものがあった。

まあ、
私には、先月からいろいろあった、

しかし運転も出来た、
そして、温泉で傷も癒した、  神さん、誕生日おめでとうな。

  (終わります)



   

城崎温泉行、①

12月10日は神さんの誕生日。

ずっと以前から
予定を立てて
お祝いの変わりに、城崎温泉へ行くことにしていた。

ところが
私の入院という一大事件勃発、 取りやめようか、とも思ったが
その前に
退院出来そうな雰囲気になって

私も人一倍リハビリを頑張って
7日に退院した。
然し
今までと違って、早速動く気になれない。
三日間、じっと我慢をしていて11日になった。
10日は満杯で、予約が取れなかったという。

入院の段階では、
私の身体を気遣って
神さんが運転していくハズだったが
その時になってビビる。

急拠、私が運転することになったが
私もリハビリのつもりで
19日ぶりに乗ってみると、 らくらく出来る。

山々はすっかり冬景色。
鳥取に入って、9号線を行くか、 178号線で行くかで迷ったが
海岸線の178号線をいくことにする。

日本海が見え始めると
大波が立っている、 見応え満点、
それを横目で眺めながら
城崎に着いた。

すると神さんが、ここ前にも来た、 
と言い出した。
私はすっかり忘れていたが
フロントの方が、 以前にもご利用して頂いていますね、と言われて分かった。

部屋に入るとすぐ、
一階の大浴場につかる。

湯から上がると食事。
今の時期は、蟹、
入院で食が細くなっているとはいえ、蟹を満喫。






城崎①






部屋に帰ると神さんが
「雪が降ってるよ」という。
外を見ると
照明の中に、雪が舞っているのが見えた。 明日は積もるな。

ベッドに入ると
いつものごとくバタン! 
3時間半の運転の疲れも出たのか
すっかり寝入ってしまった。     (続けます)




帰ってきました、④

7日、退院。
神さんの車で大原に帰る。

私の軽トラは
見舞いに来てくれた長女が
神さんと一緒に大原に運んでくれている。

着いて、まず感じたのが
寒いこと。
病院は、完全暖房で
寝衣一枚で過ごしていたので、とても比較にならない。

神さんも、
あまりの寒さに浮き足立っている。
それでも、
姫路で買ってきた肉で、ささやかながら
退院祝いの「すき焼き」をしてくれたが、 私はあんまり食べられなかった。
神さんは、パクパク食べていたが。

夕方になった。
神さんに、姫路に帰るように言うと
家の中を片づけて帰っていった。

次の日も、寒い。
今までの退院と違って、すぐ動く気がしない。
その日は一日中、ベッドに籠って過ごした。

リハビリのつもりで動かないと、
と、思いながらも
動く気がしない。

入院する前に蒔いたエンドウは
寒さのためか、まだ芽を出していない。
柿はすっかり葉を落として、実だけが鈴なりになっている。

しかし私は
全てを自然に任せて何もしない。

退院三日目の昨日、
取り残していたキウイを、収穫して食べてみた。
寒さにあって
追熟しなくても食べられる。
病院でよくでた果物だ。

寒さは今から。
しっかり養生して、春に備えよう。   (終わります)
     

追   お読みいただきありがとうございました。




帰ってきました、③

猪、鹿、カラスと戦いながら
毎日を過ごしていたが

先月、陸奥へ
大掛かりな旅行を企てた。
最後の頃、
下北半島の「恐山」に行き、神社のPでバスを降りて山門を入ると
テレビに出てくる異様な情景が広がる。

神さんは、興奮気味になって写真を撮る、
同行の皆は先に進んでいく、
私は気になったが、
神さんに負けて付き合っていた。

社殿に入ると、
賽の河原のケルンがいっぱいある。
皆はもう、丘を越えてはるか下の湖まで行っている。
私も、行ってみようとしたが、
どうにも足が進まず、気が重い、

そこで
丘の上で引き返す、
そんなことがあった。

その後は何時もと変わらず
帰姫の日になった。
最寄の駅について、留め置いた自転車で帰りかけると
胸に痛みを感じた。 11/6のこと。

途中、自転車を止めて休み
やっと帰りかけると
先に帰った神さんが、あまりにも私が遅いので
心配して迎えに来てくれたが
その時にはもう
胸の痛みはなくなっていた。

その後は毎日、何となく過ごしていたが
神さんは、
その間に福間先生に行って
何かと相談していたらしく
帰って来い、と言う。

22日私が帰ると、すぐにツカザキ病院に行くことになった。
聞けば、
福間先生に紹介状を書いてもらっている。

すぐに
神さんの車に乗せられて
ツカザキ病院に行った、 まだ8時になってなかったと思う。
19年前、
当時の塚崎記念病院でお世話になったことを伝える。

今、記念病院に問い合わせていますから
暫らくお待ちください、とのこと。

そのうちに私は手術室に、、
その後のことは、記憶にない。
気がついたら
やけに、胸と足が痛い、イタイイタイと言ったのは記憶にあるが
すぐに眠ってしまったらしい。

次に気がついたときには、
手術をしたことがわかった。 何しろ、息がしにくい。
と言うのも
大きく吸い込めば胸が痛い、それより辛いのは
セキができないことで
咳き込むと
胸が張り裂けるように痛い。




ふつかめのお父さん。




三日目。25日。




痛み止めを貰っては眠り、
だましだまし、三日を過ぎた頃から少ーし楽になった。
病名は「不安定狭心症」。

術名は(冠動脈バイパス術)、で
冠動脈に3本のバイパスが通った。
開胸して、
七時間の大手術だった、という。

動脈硬化のため、
血管が硬くて、
普通五時間の手術に7時間要した、と聞いた。

三日を過ぎた頃から
先生や、看護師さんがわかるようになった。
先生は、「田内先生」、まだ若くてイケメン、




4日目。26日。




看護師さんは時間で交代されるが
どなたも優しくて、親切、
時間の始まりに、自己紹介に来られ、今から、担当します、と言われる。
これだけで親しみが持てる。

そうして1週間が過ぎたら
リハビリが始まった。
私の担当は金井さん、
若い、そしてソツがない、 話していて愉しい。





長女の見舞い、8日目、30日。
長女が見舞ってくれる。




10日を過ぎた頃、大部屋に移った。
五階の窓際で、
網干の情景が一望できる。
すぐ前を山陽本線が、 遠くに新幹線が走るのが見える。





開胸。





右足10日目、2日。





左足、10日目、2日。





周りの山は
秋真っ盛り、
綺麗に紅葉している様子は、
病気でなければ
スぐにでも飛んで行って見たいくらいきれいだった、

そして空、
刻々と変わる雲の変化は
いくら眺めていても、厭きない。

そんな風にしながら
二週間が過ぎ、 そして退院の日がきた。   (続けます)




帰ってきました、②

果樹を植えだしたら
問題が起きた。

植えた果樹を
鹿が食べてしまうのだ。

植えて間なしの木は、そのまま枯れてしまうし、
少し大きくなった木でもコブレて、植えかえなくてはならない。
何回植えかえたことか。

周りを囲ったり
糸を張ったりして対策をとった。
時には
鹿と格闘して仕留めたこともある。

こうして
押したり突いたりしながら
何とか過ごして、ヤット実が生り出した。

ところが、ここにきて、又問題、、
実を収穫する前に
今度はカラスが、やってくる、 またまたこの対策、今に至っている。

さて、
忘れもしない昨年五月二十日のこと、
明日田植えなので、センターに代掻きを頼んでいた。
私は、といえば
姫路でどうしてもの用がある。

そのため、朝早く、水の調節をしに田んぼに行ったが
何かおかしい、
身体が安定しない、 足が滑る、、

酒が残っているのかな、
と見過ごして、姫路に帰ったが、
途中、
車の運転が怖い、 あとから思うに
病気はもう、眼に来ていた、、
対向車が恐い、 後から来る車をやり過ごしやり過ごししながら家に着いた。

神さんが、
様子がおかしい、といったが
そのまま用事を済ませた。

その帰り、神さん、
診てもらわないと、と
福間医院に飛び込んだのが 11:55、

すぐに、救急車が召ばれてツカザキ病院に、
すかさず、救急治療室でCTを撮った。
写真には
まだ何も顕われていないが
明日になったら
手足が動かないことも、と、点滴その他の処置をしてくださったのが「大貫先生」、
(結果的には、この処置で梗塞が溶けた)

HCUに入り
その後は、毎朝回診に来てくださった。

私自身は
身体の右半分の動きが取れず、
字も思うように書けない。

神さんに頼んで、
小学一年生が使うノートを買ってきてもらい
あいうえお、かきく、と字の練習、 全然書けない。
情けなく思いながら
コレもリハビリ、と思って続けた。

こうして1週間が過ぎると、
本格的なリハビリが始まった。

訓練に来る療法士さんは、みんな若い、
まるで、
孫に教えてもらっているようだった。

それを1週間続けて、 6/4退院。
病名は「脳梗塞」だった。

帰ると、夏のことで
家の周りは草だらけ。

私の、家でのリハビリが始まった。   (続けます)




帰ってきました、①  

私はこれまで
三回、大きな病気をした。

一回目が十九年前
不安定狭心症、と言われ近くの福間先生にかかった。

福間医院に
血圧降下剤を貰いに行ったとき
(何か変わったことありませんか)、と聞かれ
(1週間ほど前に、左肩と胸に痛みを感じたことがあります)
と言うと

狭心症の疑いがありますね、と言われて
直ぐ心電図をとってもらったが
何もでない。
それでも疑いがある、と言うことで
紹介状を頂いて

当時の塚崎記念病院にかかった。
病院にいくと
すぐに心電図をとったが、何もない、
そこで負荷テストをされたら
痛みを感じたときと同じ痛みがあった。 

そこで足の付け根から
カテーテルを入れて
二箇所にステント、ほかに(ふうせん)も入れて頂いた。

その時、同室の人が
「松本さん、この病気は治ってもあと三年ですよ」
と言われたので、

「三年たったら」と聞き返すと
「長くて五年」と言われた。
そこでもう一声、と思って、

「五年持ったら?」と言うと
「そんな人はシラン」と寂しそうに言われた。

その方も同じ病気だったので
相当覚悟しておられたのだろうが、私もその時、覚悟をした。

それから二年後、
会社を定年になったが
ここ大原の神さんの実家が空家だったので、行ってみるか、と思い立った。

それから私の
当地でのひとり生活が始まった。

あと長くて二年、
というのが頭にあって、
作物も一年物を作っていたが
三年過ぎてもまだ元気、
そこで
考えを改めて、それなら何時まで持つか、と、荒れた畑を耕して
桃や梨を植えてみた。

私の希望では、
6月になればビワが熟れて
7月になれば桃が熟れだし、八月が来ればぶどうが熟れる。
九月には梨、十月からは大好きな柿が
熟れる、

そんなことを夢見て
果樹をボチボチ植えだした。

そして、
望みをを目の当たりに出来るかな、
と思いながら過ごしたが、
春には
梅を筆頭に、桃や梨のきれいな花が咲き始めると
私にとってはこの地が
素晴らしい「桃源郷」になった。

しかし、実がつくのはまだ先で、
花を楽しむ生活だった。     (続けます)




お宮の掃除

先日畑で仕事をしていたら
柳田の主人が

19日
当隣保がお宮さんの掃除当番なので、出て欲しい、と言われる。
大原神社の清掃である。





大原神社④
大原神社





今まで1、2度出たことがあるが
氏子ではないので
その後は出ていなかった。
しかし
人が少なく困っている、と言われて出ることになった。

時間は八時に、ということで、行ったら三人来ている。
ほかの人に電話したら
八時半とのこと。
掃除用具入れの鍵がないので
世間話をして待った。

八時半、揃った処で始める。

この時期、落葉で大変だろうう、
と思っていたが
周りが針葉樹で、
落ち葉はほとんどなくキレイだったので
掃除は早く済んだ。

お宮さんに続く山は
今、紅葉で美しい。
お宮にも
大きな山茶花が、いまを盛りと咲き誇っていたが
これはこれで見応えがあった。

お宮さんの庭には
相撲の土俵の跡があって
昔は地区の相撲が盛んだったとか。

崩れかけた盛り土が
侘しかった。




陸奥の旅  ⑤  新日本海フェリー

6日目。

朝早く、日本海フェリー らいらっくに乗るため
タクシーで秋田港へ。
十分ほどで着く。

船は
行きと同じくらいの大きさだが
日本海の波の方が
荒いのか、  少し揺れを感じたが、
太平洋フェリーで感じた、あの小刻みに突き上げるような感じはなく
ゆったりと揺れる。





新日本海フェリーらいらっく
新日本海フェリー らいらっく






部屋は
往きと同じ様だったが
天井が低く
神さんはまあまあOK、
私は頭が天井につかえる二段ベッド。

窮屈なので、
向かいの人は換わって他所に行かれた。
その分隣りが空いて  気楽に過ごす。

ラウンジで
テレビを見ても
訪日したトランプさんのことばかり。
ベッドで横になっていたら、いつの間にか眠っていた。

7日目(6日)。  

福井県の敦賀港に着岸したのは
早朝の5時30分、
往きと同じようにまる1日船の中だった。

港には
神姫バスが迎えに来ていた。

ここでも一番前の席。
何度か走った道が、懐かしく感じられる。

三宮で解散し
姫路に着いたら昼過ぎで、

私は空けていた大原が気になって
すぐに帰岡した。

大原は、何も変わりはなかったが
周りの山々は
色付き始めて、  これから1週間ほど紅葉が楽しめそう。

今回の旅は
バスで走る時間が長かったが
神さんが
前席プランを取ってくれて、 退屈もなかった。

沢山のみちのくの秘境、
そして
下北、津軽、男鹿半島を廻った、
陸奥湾もフェリーで横断した、 北海道も見た、
八戸、青森、秋田では、ふたりで駅前に繰り出しもした。

こんな旅は
もう二度と出来ないだろう、
思い出いっぱいの いい旅になった、  感謝感謝!           

終わります。  お読みいただきありがとうございました。




陸奥の旅 ④  白神山地

5日目。

この日は
まず「龍飛岬」を観光。
石川さゆりの歌碑が建っていて
赤いボタンを押すと、(津軽海峡冬景色)が流れる。
押したら
急に大音量で流れてきたのにはびっくり。




津軽海峡冬景色
♪ ご覧あれが竜飛岬~ ♪♪  前に赤いボタン。




その後、車窓から十三湖を眺め
(鶴の舞橋)に行った。
この辺は、まだ紅葉が残って見事な景観が沢山あった。

舞橋では足の遅い神さんが遅れ、
私も待っている間に遅れて
橋の袂から引き返した。

この鶴の舞橋は
総ヒバ造りで、日本で一番長い橋、というが
私の感覚では、山口の錦帯橋が
見応えがあるように思った。




鶴の舞橋①
鶴の舞橋。 向こうに岩木山




皆より早めに引き返していると
Pに軽四が止まっていて
今を盛りの
見事なリンゴを集荷箱に沢山積んでいた。

神さんが見つめていると
運転手が帰ってきて
見ていた神さんに  「ひとつ持ってけー」 といってくれた。

神さんは大喜び。
あまりの興奮に、リンゴを取り落としながらも
慌てて拾って
大事そうに持っている。
貰ったリンゴは「富士」。





貰ったリンゴ②
このリンゴに勝るとも劣らず。





大きく見事なもので
バスの中で食べてみると、
果肉は真っ黄色で、食べた事がないほど美味しかった。

「鶴の舞橋」を出て
私が期待していた「白神山地」に向かう。
車窓には
まだまだ紅葉が残っており
心が洗われるような透き通った黄色が続く。

もう少し赤が混じっていれば尚キレイなのに、と、勝手なことを思いながら
十二湖を散策。  

見所の(青池)は深い紺青で
見応えがあった。




青池と直美
白神山地 (青池)




白神山地を出て
男鹿半島先端の入道埼を見た、と言いたいが
この頃から日が落ち始めて
入道崎は真っ暗暗で
まったくなーんにも見えず。

途中通った(大潟村)は、
昔の(八郎潟)で
行けども行けども大潟村が続いた。





八郎潟①




八郎潟干拓②
戦後最大の国営事業、八郎潟干拓





入道崎に着くと
みんな、最後の買物、とばかりに
先端の土産物屋で沢山の買物をする。

それからホテルに直行。

この日の走行距離380キロ。
よくもまあ、と感心。
 
しかし、内容は濃かった。
神さんは、
リンゴ貰ったのも手伝って、大満足の態、 単純なもので、、、    (続けます)




陸奥の旅 ③  霊場恐山 

4日目。

朝が早かったが
下北名産センターに寄り一寸した買物。

それから、かの霊場「恐山」に向かう。
この地は気候が厳しく
本来なら10月末で閉山されるはずが、好天に恵まれ観光できて私たちは僥倖だった。





霊場恐山
霊場 恐山





テレビで知ってはいたが
思ったより広々として、硫黄の匂いが立ち込め
「恐山」の名称にふさわしい雰囲気が漂う。





恐山②





恐山①





お参りを済ませ
散策したが、 みんなの後を従いていけなくて
半分ほどのところで引き返す。
それでも
早い人はバスに帰っていた。

沢山の石が積み上げられ
寄進の風車がカラカラ鳴って、
神さんは
「松本清張のサスペンスの世界、」と盛んに言う。

賽の河原の再現のようで
ゴツゴツした岩肌とともに不気味さも漂う。

この「恐山」、バスでも辺鄙なのに
昔の人たちは
必死に道なき道を登ったのだろう、と思うと
敬虔な気持になって頭が下がる。
イタコの伝統も然り、 である。

「恐山」を後に
本州最北端の「大間崎」に向かう。
大間崎のマグロのモニュメントは
今まで捕獲された最大重量と同じに作られているとかで、迫力満点。





大間のマグロ






最北端大間崎
下北半島 本州最北端に立つ。





そして「仏ヶ浦」。

上陸できる特別観光で
特別と言うだけあって、見事な奇岩が目前に連立林立している。





仏が浦③





30メートルの大迫力 仏ヶ浦





仏ヶ浦①
みんな私たちのお仲間





上陸して歩いたが
すぐ近くで大きなものを見るよりは
船の上から見た方が素晴らしい、と思った。

そのあと、むつ湾フェリーで蟹田港へ。
待っていたバスで
青森駅前のホテルに向かう。

この日の走行距離300キロ、
忙しなくも有意義な一日が終わった。   (続けます)




陸奥の旅 ②  奇跡の1本松

3日目。

1番に、陸前高田の
奇跡の一本松の見学。
歩いていく途中、震災による復興工事の様子を見る。





復興事業①





道路のあちこちに
津波がここまで、という標識が立っている。
復興最優先で、
ダンプがきたら観光バスも待機する。

一本松に着いた。





奇跡の1本松①
下に私たち観光客が見える





震災前1本松
震災前の1本松





まさに復興の只中に、ポツンと立っている。
70000本あった松原で
津波のために
奇跡的に一本だけ生き残った松だが

何年後かに枯れてしまった。
しかし、何年かは生きていた奇跡の松、
ということで
いったん伐って
中をくりぬき鉄筋を入れてサイボーグ化したとか。

葉っぱは何で作っているのか、
と聞いてみたが、はっきりした答えは聞かれなかった。
とにかく
今は名所になっている。





二級河川
1本松すぐそばの2級河川 小本川、 この川を津波は魔物のように遡上した。





ここを出て
次は浄土ヶ浜。





浄土ヶ浜
浄土ヶ浜





こちらには沢山のウミネコがいて
観光客の呉れるカッパえびセンを待っている。

私も一袋買って与えたが
少しずつ差し出すと
ユビも一緒に咥えられることがあったが少しも痛くない、 加減しているのか。

えびセンが手にある間は
沢山寄ってくるが、無くなったとたんに
サッと他所に行く、
何とまあ薄情な、 と言う感じ。 





えびせん
えびせんに群がるウミネコ



 

次は、北山崎という名所で
崖の上に展望所があり
太平洋の荒波に洗われて造られた景観を見るところ。




北山崎
北山崎





昼食をとってから
久慈駅から普代駅まで三陸鉄道に乗る。





あまちゃんの舞台
あまちゃんの舞台になった 普代駅近くの入江





三陸鉄道では
リアス式海岸を見るのだが
景色のよいところでは
列車を止めて見せてくれるサービスもあった。
朝の連続テレビ小説 あまちゃん の舞台になった処だった。

列車を降りると
バスで八戸のホテルに移動。

この日のバスの走行距離、
320キロ、
よく走ったものだ。    (続けます)





陸奥の旅   ①  太平洋フェリー きそ

31(月)朝、
1週間ほど留守にするので
家の周りの整理と戸締りをする。

姫路に帰ったら九時前。
三宮集合が13時15分なので、少し時間がある。

テレビを見て過ごし
11時半に家を出て、
三宮に着いたら集合時間の三十分前で

添乗員さんが
旗を持って待っている。

すでに大勢集まっているが、何人かはわからない。
程なくバスが来て乗り込んだ。
座席は、(前席プラン)を神さんが申し込んでくれていて
私たちは一番前に座る事ができた。

途中京都で参加者を乗せて
一路名古屋港へ。

名古屋港に着くと大きな白いものがある。





太平洋フェリーきそ自撮り
自撮りした 太平洋フェリー きそ    あとで船と分かった、  トホ





みんな撮っているな、
と、自分たちが乗り込む船とも知らず
撮ったはいいが
近過ぎて
部分的にしか撮れなかった。





きそ③



太平洋フェリー きそ



きそ②





船は太平洋フェリーの「きそ」、
船室は子供のベッドみたいで窮屈だったが、これも旅と思って辛抱する。





きそ⑤





名古屋港を19時に出港。
風は少しあったが、波は穏かで揺れはあまり感じなかった。
ベッドに横になると
突き上げるような振動が
小さく、時には大きく伝わってくる。

甲板に出ると
風で寒いので、ラウンジから外を見ようとしても
暮れ始めていて何も見えない。

大浴場に行くと
その時入っていたのは2、3人、
浴槽からも海が見えるはずだが、 暗くて見えない。





きそお風呂
お湯がチャプンチャプン。





船で一晩過ごし
夜が明けたので甲板に出た。
しかし
陸地は遠くてよく見えない。





きそバイキング
朝食はバイキング





三脚を構えて
写真を撮っている人があったので、聞くと、
「あれが女川原発です」
と教えてくれたが
白い建物が何基かあるだけで
よく分からない。
これでは、
福島の原発も分からないだろう、と中に入った。

目的地の
「仙台港」に着いたのが16時30分。
殆ど1昼夜、
船に乗っていたことになる。





きそシアター
シアターでは「釣りバカ」を見た。





船を下りると
迎えのバスで夕食場所へ。

メニューは、
仙台名物の牛タン、牛タンと言えば牛の舌だと思っていたが
牛肉に小さく切れ目を入れて
焼いたものだった。
私は
家で食べるのと変わらない、
と思ったが、とても美味しかった、と言う人もいて、
食の好みは分からない。

それから1時間ほど走って
岩手県の一関へ。
ホテルに着いて
横になったらバタン、

二日目が終わった。   (続けます)




一週間、休みます。

今年、私は77歳になった。

よくもここまで、と言う気持と、
いつの間にかもう、
という気持が交錯する。

とにかく、
若い時にはとても考えられなかった処まで来た。

今まで二回、
大きな病気になったが、二回ともツカザキ病院の先生に救われた。

思えば遠くにきたもんだ。

そこで又、神さんの案によって
東北の海岸線を船やバスで観光しよう、
ということになった。
予定は一週間ほど。

どんな旅になるかわかりませんが、
愉しい「たび」にしよう、と思っています。
又、その様子は
書いてみますので

どうかご覧になってください。



姫路、冠水

神さんが帰ってから
眠っていると、九時頃電話がなった、 神さんから。
ひどく興奮している。

聞くと、家の周りが水浸しだという。
何とその水、
ガレージの中まで入ってきている、と。

家を建てて四十年を過ぎるが
今までに二回、ガレージの中まで水が入った。

一回目は昭和49年の姫路水害で
後の一回は、私がここに来てから起きた。
そして今回が三回目。

帰ることも考えたが
夜中に動くとかえって危ないので
とにかく注意するよう指示して、電話を切った。

それから三十分ほどして電話がかかり水が引き始めたと言う、 ヤレヤレである。

テレビを見ると
台風は明石に上陸し、
城之崎がひどい雨だといっているので
姫路は通り過ぎた、と分かった。

それにしても今回の台風
各地にひどい被害をもたらした。

如何ともし難いのが
歯がゆい。




秋の定期清掃

今日は
姫路の自治会の定期清掃。

例年、6月と9月の第一日曜 定例で
いつものように
私はチビッコ広場の植栽の剪定をする。

松が一本あって
秋はその剪定をし
他の木は6月にするようになった。

公園の木なので
市が行う所なのだが、補助が出て地域がやっているとの事。

8時からだったが
着いたら7時半前で、すぐに掛かった。
時間は早いが
自治会長が来て道具の準備をしている。

10時までなので
それまでに仕上げなければならない。
めどがついた時、
他の箇所が終わって、みんなひと休み。

暫くして
会長の近況報告があって終わったが
役員が道具を片付けている時、私も松が終わった。

自治会は
高齢化が進んで、
代替わりや転入で知らない人が増えた。

諸行無常、
世は流れていく。




石綿健診

私は、過去、
石綿を扱う仕事もしてきた。

そのため
半年に一回、姫路の医師会で健診を受けている。
今日が今年二回目の健診日で
朝から姫路に行った。

朝、夜が明けた頃、
台所の電球が切れたので
替えの電球も買いたいと思い、少し早く出かけた。

飾磨のミドリ電化(今、エディオン)に行くと
店員さんがとても親切で
又、その笑顔がとても可愛くて
印象に残った。

その後、久しぶりに
広畑の会社の前を通り、
会社に行っていた頃、よく寄っていた喫茶店に行ったら

ご夫婦でやっておられるのだが
二人ともお年を召しておられて、びっくり。

向こうも、同じように見えただろう、
と、おかしくなったが
そのことは何も言わずに、
やあやあ、で済ませた。

昼から、医師会に行って
健診を済ませ
家で、神さんが撮り置いてくれた映画(ミナミの帝王)を見て、帰宅した。





ミナミの帝王②





途中、佐用で
土砂降りに遭ったが、

大原に着くと
雨はうそのように降っていなかった。



庭の木を伐る

先日、神さんが、
洗濯機の流れがおかしいと言う。

リフォームした工務店に来てもらったら
下水の配管に木の根っこが蔓延って、詰まっているとか。
それで
その根っこを除いたあとに除草剤を掛けてもらったらのが7/27。

今度は
その木が枯れかけている、と言うので
今日は、その木を伐るため
姫路に帰った。





木を切る①





木はヒバの木で
家を建ててすぐに、会社の先輩から貰って植えたもの。
その頃は(盆ヒバ)と言って
お盆には、お墓に飾るものだと言われ
几帳面に飾っていたが、

子育てが大変になると、いつの間にか
それもなくなり、
木は刈り込んで、三メートルほどの高いところに
枝を少しつけただけになっていた。

木は二本。
先っぽの残った枝を伐ったところ、
神さんが出てきて、伐り口に帽子をかぶせてやって、と言う。

根元から伐る気でいた私も
遊び心がわいて、かぶせることに。
そこで
帽子をもう一個持ってこさせて、二本ともかぶせた。





わはは、涼しいか。





又いずれ、伐り倒して、と言うだろうが
まあ暫く様子を見よう。




わっはっは。


おほほ。



この暑さだ、
両君、多少は涼しくなったかな。




未タイトル

今日からお盆休み、
と勝手に決めて

と言うより
世間さまがお休みなのに
ガリガリ、キーキー、と機械音を立てては憚られる、
と思っているので
静かに静かに過ごす。

そんなわけで、 することは山ほどあるが
とりあえず庭の草引きをする。
つい先日、
きれいにしたのに
引き始めると、その草の多いこと多いこと!

時間がかかるほどには
キレイにならず、 遅遅として進まない。
まあ、今日は
おまけの仕事、くらいに進めていく。

オクドさんにも火を入れ
沸けば、何時ものように庭の草にかけていく。
草が大きくなっているので
少しくらい掛けても
草は枯れない。
これを遅らせると、何もかも手間が倍増する。

夕方までに
思った半分くらいしか出来なかった、残りは明日、といきたいが
明日は全国的に雨、とか。

うまくいかないものだ。

グズグズしていたら、秋野菜も気になるし
忙しい、 ああ、忙しーーー、

しかし、これは頭の中だけで
身体が随いていかない。



お墓参り

正月を迎えた時、

今年こそは、と色々な抱負を抱いていたのに
これと言って何もしないで
もう八月も半ば、

それでも
昨年患って入院したため
硬くなった筋肉をほぐすのに
やおら一年かかって、
ようやく元の身体に戻ったように思えるのは、今年一番の
成果かもしれない、

と、自分に都合よく解釈して
今日も、 何をするでもないが
熱中症対策だけは万全にして過ごす。

しかし、これだけはしなければ、
と、墓参りに行ったら

どこかのおばさんが
桑の木を車に積んで居られる。
桑の木、何にするのですか、
と尋ねたら
「邪魔になるから伐って、これから捨てる」とのこと。

うちにもあるので、何かに使えるのか、と思ったが
邪魔になるだけ、なのか。

墓参りを済ませて帰ると、何もする気がしない。

明日は庭草の処理でもするか、と
思い描いて過ごす。

どんな一日にするか、と
思いを巡らせるのは愉しい。

さて、
ご先祖さまはご機嫌よくお帰り下さっているだろうか。



喜寿の祝い

昨日(11日)は、
子供と孫たちが
私の喜寿の祝いをしてくれると言うので
姫路に行く。

自分の祝いに姫路に帰る、
という気分は、普段ないので慣れなかったが

ゆったりした気持ちで運転していると
時速は法定速度になっていた。
道中の景色も、いつもと違った感じに見える。

姫路に着くと
前日に来てくれた孫たちが大きくなっているのにはビックリ。

昨年病気をした時に
見舞いに来てくれた孫もいるが
3年ぶりの孫もいる。
私(176cm)より背丈が伸びた次女の長男も。

祝いは「ホテル サンシャイン青山」で始まった。





喜寿お祝い①





はじめに皆が
一言ずつ近況や抱負を言ってくれたが
それぞれしっかりしたことを言うので、頼もしくて嬉しくなった。

食べて、飲んで、和気藹々とした2時間半が
瞬く間に過ぎていった。





喜寿お祝い③





喜寿お祝い②





終わると、晩は姫路に泊まって
翌朝 帰岡した。

自分のことで
子供3人、孫6人が集まってくれたのは初めてのことで
面映ゆい気もしたが

一番感じた事は、
いよいよ退け時、ということ。

しかし、それはそれ、無理しないで頑張ってゴー、 だ。




自分史を作る

私は今年77歳になった。
喜寿、と言うそうな。

そこで娘たちが、
お父さんの生きたあかしに
何か記念誌を、 という算段を立てたらしい。

それが昨年の事。 
何か今、そういうことが今時なようで
混んでいて
申し込んで一年たって、順番がきたようで、
今日はそのために午後、東京から二人の方が見えた。





親④





親の雑誌の③





そのため、
神さんはその準備に、午前中奔走、

写真が40枚ほど入用とかで
10冊余のアルバムを持ってきていた。

その方たちが見えたのは一時前で、

私の子供の頃のことから
聞き始めたが、、  その頃の写真はほとんどなくて
私の思い出話だけになった。





親の雑誌②





付き合いだしてからの写真は
神さんが
きれいに整理をしていたので
「分かり易くて助かります」 などとお褒めに預かりよかったようだ。

どんなものが出来るのか、
と思うが
今からも電話で聞きたいので、と言われた。
編集、大変だろうな。

最後は
表で写真を撮ったりして
終わったら4時になっていた。

久しぶりに
長い間、人と話して疲れてしまった私は
五時過ぎには眠ってしまい、

神さんが
姫路に帰ったのは分からなかった。




南東北 紀行 ③

三日目。
朝は八時半出発。

一番に会津鉄道に乗る。
二両編成の小さな鉄道で
私は、一番前の運転席の横に立った。

運転手さんが、
免許があれば運転しても良い、
と言うので、普通車の免許なら、と言ったら、鉄道の免許だと言う。
そんなやり取りをしていると、

運転手さん、
自分の荷物を片付けて
手前が見易いようにしてくれる。

20分ほど乗って
「塔のへつり」に着く。
大昔、対岸の岩が削られて奇岩になっており
吊橋もあって、
渡れるようになっている。

私たちは
渡らず、見るだけにした。

次に行ったのが宿場町「大内宿」、
私は知らなかったが
神さんは、ぜひ一度見てみたかった、と言って感激していた。





rennkyuu1日目。
今日は、3連休1日目の土曜日。






大内宿①





大内宿、
路の両脇に50軒ほどの
わらぶき屋根の家が立ち並んでいる。
ドン突きまで行くと
さらに高いところに登れるようになっている。

頑張って登ると
大内宿の集落が一望できる。





ばんざーい。





中に、屋根の葺き替えをしている家もあった。
私の生まれた家も
草屋根だったので
懐かしく感じた。





屋根吹き替え
左 手前から3軒目、ワラ屋根 葺き替え中。
日曜日(16日)には「モチまき」をすると聞いた。





それぞれの家は、皆、商売をしていて
中でも葱そばが有名だとか。

ネギは、蕎麦に付きものだが
ここのネギ蕎麦は
葱一本で食べる、 途中、葱を齧りながら。

見ていると
食べにくそうなので、私はざる蕎麦を食べた。

そこが今回の旅の終わりで、あとは、元来た道を戻るのみ。

今回の旅は
私たちが最年長ではないか、
と感じた旅でもあった。

この間、東北地方でも
局地的に
ゲリラ的な大雨が米沢を襲ったり、
宿入り直後に大雨が降ったりしたが、
まるで雨が
私たちを避けてくれたようで

ただの一回の雨にも遭わず
私の喜寿記念旅行は、無事終了した。   ばんざーい! ありがとーう。
                               (終わります)



検索フォーム
プロフィール

Author:松本直美
定年後、岡山・美作で農業を始めて19年。
米作りだけでなく、野菜や花、
果樹、造園についても書いていきます。
造園技能士一級の資格を持っています。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
RSSリンクの表示
リンク