未タイトル

今日からお盆休み、
と勝手に決めて

と言うより
世間さまがお休みなのに
ガリガリ、キーキー、と機械音を立てては憚られる、
と思っているので
静かに静かに過ごす。

そんなわけで、 することは山ほどあるが
とりあえず庭の草引きをする。
つい先日、
きれいにしたのに
引き始めると、その草の多いこと多いこと!

時間がかかるほどには
キレイにならず、 遅遅として進まない。
まあ、今日は
おまけの仕事、くらいに進めていく。

オクドさんにも火を入れ
沸けば、何時ものように庭の草にかけていく。
草が大きくなっているので
少しくらい掛けても
草は枯れない。
これを遅らせると、何もかも手間が倍増する。

夕方までに
思った半分くらいしか出来なかった、残りは明日、といきたいが
明日は全国的に雨、とか。

うまくいかないものだ。

グズグズしていたら、秋野菜も気になるし
忙しい、 ああ、忙しーーー、

しかし、これは頭の中だけで
身体が随いていかない。



お墓参り

正月を迎えた時、

今年こそは、と色々な抱負を抱いていたのに
これと言って何もしないで
もう八月も半ば、

それでも
昨年患って入院したため
硬くなった筋肉をほぐすのに
やおら一年かかって、
ようやく元の身体に戻ったように思えるのは、今年一番の
成果かもしれない、

と、自分に都合よく解釈して
今日も、 何をするでもないが
熱中症対策だけは万全にして過ごす。

しかし、これだけはしなければ、
と、墓参りに行ったら

どこかのおばさんが
桑の木を車に積んで居られる。
桑の木、何にするのですか、
と尋ねたら
「邪魔になるから伐って、これから捨てる」とのこと。

うちにもあるので、何かに使えるのか、と思ったが
邪魔になるだけ、なのか。

墓参りを済ませて帰ると、何もする気がしない。

明日は庭草の処理でもするか、と
思い描いて過ごす。

どんな一日にするか、と
思いを巡らせるのは愉しい。

さて、
ご先祖さまはご機嫌よくお帰り下さっているだろうか。



喜寿の祝い

昨日(11日)は、
子供と孫たちが
私の喜寿の祝いをしてくれると言うので
姫路に行く。

自分の祝いに姫路に帰る、
という気分は、普段ないので慣れなかったが

ゆったりした気持ちで運転していると
時速は法定速度になっていた。
道中の景色も、いつもと違った感じに見える。

姫路に着くと
前日に来てくれた孫たちが大きくなっているのにはビックリ。

昨年病気をした時に
見舞いに来てくれた孫もいるが
3年ぶりの孫もいる。
私(176cm)より背丈が伸びた次女の長男も。

祝いは「ホテル サンシャイン青山」で始まった。





喜寿お祝い①





はじめに皆が
一言ずつ近況や抱負を言ってくれたが
それぞれしっかりしたことを言うので、頼もしくて嬉しくなった。

食べて、飲んで、和気藹々とした2時間半が
瞬く間に過ぎていった。





喜寿お祝い③





終わると、晩は姫路に泊まって
翌朝 帰岡した。

自分のことで
子供3人、孫6人が集まってくれたのは初めてのことで
面映ゆい気もしたが

一番感じた事は、
いよいよ退け時、ということ。

しかし、それはそれ、無理しないで頑張ってゴー、 だ。




自分史を作る

私は今年77歳になった。
喜寿、と言うそうな。

そこで娘たちが、
お父さんの生きたあかしに
何か記念誌を、 という算段を立てたらしい。

それが昨年の事。 
何か今、そういうことが今時なようで
混んでいて
申し込んで一年たって、順番がきたようで、
今日はそのために午後、東京から二人の方が見えた。





親④





親の雑誌の③





そのため、
神さんはその準備に、午前中奔走、

写真が40枚ほど入用とかで
10冊余のアルバムを持ってきていた。

その方たちが見えたのは一時前で、

私の子供の頃のことから
聞き始めたが、、  その頃の写真はほとんどなくて
私の思い出話だけになった。





親の雑誌②





付き合いだしてからの写真は
神さんが
きれいに整理をしていたので
「分かり易くて助かります」 などとお褒めに預かりよかったようだ。

どんなものが出来るのか、
と思うが
今からも電話で聞きたいので、と言われた。
編集、大変だろうな。

最後は
表で写真を撮ったりして
終わったら4時になっていた。

久しぶりに
長い間、人と話して疲れてしまった私は
五時過ぎには眠ってしまい、

神さんが
姫路に帰ったのは分からなかった。




南東北 紀行 ③

三日目。
朝は八時半出発。

一番に会津鉄道に乗る。
二両編成の小さな鉄道で
私は、一番前の運転席の横に立った。

運転手さんが、
免許があれば運転しても良い、
と言うので、普通車の免許なら、と言ったら、鉄道の免許だと言う。
そんなやり取りをしていると、

運転手さん、
自分の荷物を片付けて
手前が見易いようにしてくれる。

20分ほど乗って
「塔のへつり」に着く。
大昔、対岸の岩が削られて奇岩になっており
吊橋もあって、
渡れるようになっている。

私たちは
渡らず、見るだけにした。

次に行ったのが宿場町「大内宿」、
私は知らなかったが
神さんは、ぜひ一度見てみたかった、と言って感激していた。





rennkyuu1日目。
今日は、3連休1日目の土曜日。






大内宿①





大内宿、
路の両脇に50軒ほどの
わらぶき屋根の家が立ち並んでいる。
ドン突きまで行くと
さらに高いところに登れるようになっている。

頑張って登ると
大内宿の集落が一望できる。





ばんざーい。





中に、屋根の葺き替えをしている家もあった。
私の生まれた家も
草屋根だったので
懐かしく感じた。





屋根吹き替え
左 手前から3軒目、ワラ屋根 葺き替え中。
日曜日(16日)には「モチまき」をすると聞いた。





それぞれの家は、皆、商売をしていて
中でも葱そばが有名だとか。

ネギは、蕎麦に付きものだが
ここのネギ蕎麦は
葱一本で食べる、 途中、葱を齧りながら。

見ていると
食べにくそうなので、私はざる蕎麦を食べた。

そこが今回の旅の終わりで、あとは、元来た道を戻るのみ。

今回の旅は
私たちが最年長ではないか、
と感じた旅でもあった。

この間、東北地方でも
局地的に
ゲリラ的な大雨が米沢を襲ったり、
宿入り直後に大雨が降ったりしたが、
まるで雨が
私たちを避けてくれたようで

ただの一回の雨にも遭わず
私の喜寿記念旅行は、無事終了した。   ばんざーい! ありがとーう。
                               (終わります)



南東北 紀行  ②  

二日目の朝は、
早くに目が覚めて、朝風呂のあと
バイキングの朝食。

八時に出発だが、
予報では雨が降るかも、 と言う。

ガイドさんにも
雨具の用意をと言われ
あらためて、その用意をして出発した。

まず始めは「会津若松 鶴ヶ城」。
途中、戊辰戦争で
旧幕派として戦った会津藩のことや
若くして散った白虎隊の悲話を、繰り返し聞かされる。

お城、  いつも、お城として姫路城を見ているものには
規模が小さく感じられたが、
石垣の矢玉の跡が、痛ましい。
先年放送された
大河ドラマ「八重の桜」は
毎週見ていたので懐かしさも覚えた。





鶴ヶ城
鶴ヶ城全景






鶴ヶ城③






turugajyou
天主を望む





午前で、時刻はまだ早かったが
猛烈な暑さで、神さんはフウフウである。

鶴ヶ城を後にして、次は蔵王エコーラインを走って、蔵王の「お釜」を見る。
バスが頂上近くまで上がるので
降りたら直ぐだった。





蔵王残雪





蔵王残雪②
向こうに残雪が。





朝の雨の心配をよそに
良い天気になって
お日様は、燦燦と照っている。

山上なので、温度が低く
風が爽やかで気持ちがいい。
頂上に上ると
直ぐ下に、お釜が現われた。 廻りにはまだ残雪が残っているところがあって
不思議な感じがする。

ガイドさんは
「お釜が見られる季節は限られているし、
 天候もくるくる変わるので、今日のようにきれいに見えたのは珍しい」と
私たちは運がいい、と言ってくれる。

蔵王をあとに
次に向かったのは、
芭蕉の(奥の細道)で有名な「山寺・立石寺」。

入り口近くのお土産屋ふもとやの駐車場にバスを停めて
百段ほど昇った所が受付で
奥の院は
さらに千段ほど登った所にある、という。





芭蕉翁
芭蕉翁の碑





私は、百段登っただけで
,心臓が踊る感じがしたので、諦めて
そのまま下りて、
みんなが降りてくるまで、(ふもとや)でサクランボアイスを食べたりして
時を過ごした。

降りてきたみんなは
汗みずく、汗だくだく、  狭心症もやっている私には
昇らなかったのは正解だったと思う。

みんな揃ったところで
一路ホテルに向かう。
又、遠路、表磐梯まで南下していたら
ホテルに着いたのは七時前。

七時10分から夕食で
風呂に入る間がなく、夕食に入る。

鶴ヶ城、蔵王のお釜、と
嬉しい観光地巡り、だったが
走行距離が長く慌しかった。

が、とにかく
「蔵王のお釜」が見られたのは、幸運だった。




南東北 紀行 ①

私は今年、満77歳になった。
喜寿と言う節目らしい。

自分ではその気がないが、やはり年は重ねているらしい。
お目出たい、ということで
子供がお祝いに、と
旅行をプレゼントしてくれた。

そこで神さん、
色々検討して、ある旅行社の
「南東北ベストハイライト」を計画してくれた。

今まで、色々な所に行ったが
東北のこの地は初めてなので、五月から楽しみにしていた。

集合が大阪駅で
朝が早い。

で、前の日に姫路に帰って
13日早く出て、姫新線、新快速と乗り継ぎ
新大阪8時44分のサンダーバードで同行の方々と合流、

一路、東北へ。

サンダーバードの終点金沢から
北陸新幹線で上越妙高まで。

ここから、角さん創設の
(越後交通)の観光バスで本格的な観光が始まった。

と言っても、この日は
ここまで来ただけで大仕事、
(五色沼)を見ただけで、あとは宿入りになった。





五色沼





(五色沼)、
途中、道の駅で貰った地図を見ても
どこにもない。

ガイドさんの説明によると
明治時代、磐梯山が噴火した時にできた沢山の沼が、見る時や天気の加減で
色々に見える、
ということで付いた名称で、
沼固有の名前ではないという、 探してもなかったはずだ。

なんでも、
見物に行った沼には、
背中に赤いハートマークのある白い鯉が
一匹居て
近年、デートスポットとかで

その鯉を見ると幸せになると
沢山の人が沼の近くまで行って探していたが

私は、今、充分幸せなので
行かなかった。

そのあと、爆裂火口が口を開けているすぐ前のホテル
「裏磐梯レイクリゾート」に着いた。





裏磐梯

裏磐梯 爆裂火口





裏磐梯レイクリゾート
裏磐梯レイクリゾート





このホテルは、
とにかく大きくて部屋もゆったり、
迷子になりそうなくらい広くて、行き届いた良いホテルで、

飲んだお酒は
さすが、酒どころの会津物、
大変美味しくて、沢山いただいた。

部屋に帰ると、 バタン、で
気がついたら朝になっていた。




屋根の修理

二階の屋根の漆喰が
剥がれてきた。
ここは寒冷地、
寒さに耐え切れなかったらしい。

13年前、家をリフォームした時、
加古川の屋根やさんが葺いてくださったものだが
この辺の条件が十分に分からず

葺いたので、寒さに耐えられなかった。
その上、昨年の鳥取地震で
この辺りも、だいぶ揺れたが、

その影響か
瓦も割れていると言う。





屋根直し
四人がかり。





屋根修理終了
保繕 終了





幸い、屋根を葺いたあと
余った瓦を
裏にいくらか残していたので
割れた瓦はそれを使ってもらった。

先日、私も屋根に上がってみたが、漆喰の剥がれは分かったものの
瓦の割れまではわからなかった。
さすが本職!  脱帽した。

始めは一日で終わる予定が
明日も掛かるとかで、大仕事になった。





姉の訃報

15日早朝、
愛媛の故郷から訃報が届いた。 
二番めの姉が亡くなったと、  88歳。

16日通夜で、17日葬式だという。

私は、16日の朝発った。
出かける前に、
田んぼや果樹園を見回って、7時過ぎに出発した。

何時もと違って
心は弾まない。
長い道中、今までの姉とのことが去来する。

私は早くに母が亡くなったので
近くに嫁いだこの姉が
何かと母代わりの面倒を見、世話をしてくれたので
その
思い出が一層深くなる。

何時ものように
三番目の姉の所に着いて、世話になる。
この姉も、もう随分と歳だが
いつも優しく、良く世話をしてくれる。

以前は、葬式を家でしていたので
隣保の人たちは、その準備で忙しかったものだが、、

今は、田舎でも葬儀場で行うので
時間になったら、そちらに行けばいい。

通夜、早めに行くと
もう沢山な人が来ている。
本当に久しぶりの人が、沢山いるが、懐かしくても話は弾まない。
姉には孫や曾孫が沢山居て
私には、
誰が誰だか分からなかった。

長らく患っていたので
本人は楽になれたが、 それでも残されたものは
悲しい、
と言うか寂しい。

周りの景色はいつもと変わらないのに
なぜか、違って見える気がする。
不思議だった。


やっと タイヤ交換

今年は交換が遅れて
昨日まで冬用タイヤをつけたままだった。

と云うのも
4月に換えるつもりにしていたら
一時期、寒波が来て
高速の表示に、冬用タイヤ着用と出ていたので

まだいいか、と思っていたら
田植えで忙しくて、今日になってしまった。  トホ、

交換は
姫路の家の近くの
西播ホープ自動車でサービスでしてもらう。

こののサービス屋さんとは、かれこれ50年の付き合いで
いつもよくしてもらう。

先代の社長は亡くなったが
二人の息子さんが継いでいて
いつも気持ちよく、サービスしてくれる。

先代の奥さんも、時折り店にいて
今日もちょうど居られて、話が出来た。
何と、曾孫が三人いる、とか。

大原に帰ってきたら昼すぎで
まだ日は高かったが

一仕事終わった!
と思ったら疲れを覚えたようで、
あとはゴロゴロして過ごした。


新しい先生

新しい先生、
と言っても、学校の先生ではない、
病院の先生。

お世話になっていた,佐藤先生が替わられて
四月から新しい先生になった。
ドコからこられたのか聞いたら、岡山大学です、と言われた。

マスクをしておられたので
顔はよく見えなかったが、、、
又、2~3年お世話にならなければならない。
患者も、先月よりは多くなっていた。

今朝も6時半過ぎに
順番取りに行ったら6番目だった。

8時半に受付が始まる、
時間があるので、ベッドで横になっていたら
うたた寝してしまって
気がついたら8時半過ぎで

慌てて行ったら
受付が始まっていて、
順番取りが無駄になった。
でも、こちらのミスなのでおとなしく待って、帰ってきた。

帰ると、今にも降りそうだったので
横になったら、又眠っていた。

目が覚めると、
天気はよくなっていたが
気温は低く、そのまま家の中で過ごす。

今日はスーパーも休み。
なので私も休み、  それはないか。

八丈島紀行 ⑥

三日目、お昼は
郷土料理の昼食。





飛魚の姿作り
飛び魚の姿造り、むこうに明日葉の天ぷら




新鮮な飛び魚の姿造りと
明日葉の天ぷらで
今日こそ、と食事前にカメラ。
食事後、大将に聞いたら
毎日の食材の確保が大変、と難しい顔を見せた。

集合まで
テレビの前に座っていたら
渡瀬恒彦さんの訃報が流れ、若いのになあ、とビックリする。

最後は
(くさや)の加工場に行った。
試食をしたが、くさくてコレは馴染めない。
グループの誰も買った様子はなかった。

その後、八丈島空港へ。
飛行機に乗れば、もう帰ったも同じ。
アッという間に羽田へ。
ここで添乗員と別れて、伊丹行きの飛行機へ。

今回の八丈島の旅、
2日目、異常気象に遭遇して寒かったが
原生林ウォークなど
普段では出来ない体験があったし
いろいろな見学、見物も豊富にあった。
が、しかし、
なんといっても
魚の美味しさを改めて認識した。

また、いい所を探して行きたいもの、  それまで頑張ろう!   (終了します)




コンパクト
神さんが求めた黄八丈のコンパクト





八丈島紀行 ⑤

3日目(16日)は
予報では暖かくなるはずだったが
あんまり代わり映えせず、

雨でなかったら良し、と
始めの観光地へ。

まず、海岸に溶岩がせり出した
「南原千畳敷海岸」に行く。





日本のハワイ①
向こうは八丈小島




日本のハワイ②
溶岩に砕ける波




千畳敷
この人、誰、  神さんかもしれない




ここには、宇喜田秀家と豪姫の石像もあった。
関が原の戦いに敗れた秀家が



宇喜田秀家



豪姫とともに
八丈島に流されて、豪姫はすぐに加賀に帰ったが
秀家は一生ここで暮らし、80余歳で没した。

その罪が許されたのは
明治の代になってからで、平成になって石像も建てられた由。
ふたりの像の向く先が
(はるかに遠い領地、美作)とは、
ホロリとした。

その後、
陣屋屋敷の玉石垣や
黄八丈のお頭の「服部屋敷跡」を見学。



黄八丈染め元
黄八丈工房




玉石垣
流人が積んだ玉石垣




の実服部屋敷のそてつ
服部屋敷跡のソテツの実




かみさんはここで黄八丈の「コンパクト」を買い、私は
樫立踊りに飛び入り参加した。

陣屋屋敷の
海岸に打ち寄せられ波にもまれてマールくなった玉石垣は
流人たちが運んで積んだもの。
海岸からこの地まで運んで
報酬は(おにぎり1個)、
それでも
米のおにぎりは
何物にも換え難い嬉しいものだったのだろう。  (続けます)



八丈島紀行 ④   

2日目はとにかく寒かった。

バスから降りて
すぐ風呂に入って温まって6時から夕食。
昨夜は他の団体が沢山居て賑やかだったが
この夜は
私たちの団体だけで、その分サービスも行き届く。

料理も、これまた島の産物、
とても豪華な料理で
大きな「金目鯛」の煮付けが副菜で出てきたのにはびっくり。
薄味で炊いてあり
金目の煮つけは甘辛い、の先入観がひっくり返った。

「島には沢山の美味しい焼酎があるから飲み比べてみてください」
と言うことだったが、
焼酎をそんなに飲んだら、酒の弱い(?)私など
すぐに潰れるので

最初に一杯戴いて、
その後は福島の冷酒を頼んだ。
これが又美味しく、
島の魚と良く合って
本当に今回の旅の魚は美味しかった。

お腹も空いて
すぐに箸を付けたので
気がついたら写真がなかった、  残念至極!
金目の写真、 撮りたかった!

満足して部屋に帰ると
布団は昨日のままで、バタンと眠り込んだ。  (続けます)



八丈島紀行 ③

登龍峠展望台を後に
次は楽しみな昼食へ。

メニューは「島寿司」で、
島で獲れた魚を使った名物で、新鮮なネタを味わう。



島寿司
これは美味しかった。



次は民族資料館に。
ここは案内人の方がおられ、説明して下さる。

私が子供の頃
使っていたような農具や、
流人の人たちが使っていた生活用品など、
島の人たちの
生活や歴史を物語る資料が展示されていて
往時を偲ばせるものだった。

島は良く雨が降るとかで
朝はまあまあの天気だったものが
昼過ぎから
雲が出てきたと思ったら
急に降り出したり、そうかと思ったら晴れたり、と目まぐるしく変化する。
途中でアラレも降ってきて
何と、少し積もった。
八丈島で、アラレとは!

次に訪ねたのが「明日葉(あしたば)工場」、
島の名物にするため、
盛んに取り組んでいるもようで
ホテルの料理にも
必ず出てくる野菜で、
私たちもみんな、種の配布に与かった。

つぎに都立八丈植物公園、
寒いので、中は暖かいかと期待したが
それはなくて、
外と違って風が当たらないのが救いだった。
珍しい植物もあったが




植物園




ホテルに着いたころには
忘れてしまっていた。

次に行ったふれあい牧場は
アラレで、白くなっていた。

今日は、
景色は素晴らしかったが、
何しろ、異常気象のおかげで寒く
ソコソコにバスに戻っても暖房はなく、ホテルまで我慢の子で、

この天候には、
八丈島の人たちも驚かれたと思うが
私たちはそれ以上に驚いた。

連泊のホテルに戻るや否や
大浴場に飛び込んで人心地ついたが。  (続けます)




八丈島紀行 ②

2日目、
気温が低くて
ムチャクチャ寒い。

予報は全国的に雨や風で
この日の羽田からの八丈島向け第1便は飛ばず、船も欠航。
そんな中を、
昨日八丈島に来れただけでも運が良い。

朝、バスに乗る時
ホテルのすぐ後ろに八丈富士が迫って見えた。
島のバスガイドさんも同行する。




ホテルから八丈富士
八丈ビューホテル、上には八丈富士が。




向かったのは
“ジュラ”の森、原生林ウォーク。
バスから降りて、森の中を2キロ歩く。




原生林①



ほんとに恐竜が出て来そう。



原生林②




前の日は雨で入れなかったそうで、
入れただけでも運がいい。
道は山道で細く、舗装などとんでもない、
しかも雨のあとでぬかるんで、歩き難かったが、

亜熱帯特有のヘゴの木やしだが
いっぱいに茂っていて、
異様な雰囲気を醸しだしていた。




原生林③



うわッ、出てきた。



原生林④




専門ガイドの説明を聞きながら1時間ほど歩いた。

次は八丈八景の一つ、名古の展望台へ。
ここからは、太平洋の荒波が手に取るように見えた。
この日は風が強く、
大きな波が岸辺に打ち寄せるさまは壮観そのもの。




逃げられない
これでは罪人さんも島抜けはムリ。
八丈島はどこもこんな感じの断崖がつづく。




つぎに行ったのが、登龍(のぼりょう)峠展望台、
途中の道路の山側には
大きなオスとメスの龍がタイルで描かれ、
メスの爪は赤かった。

ここの展望台からの眺めも
素晴らしく、
寒さに難渋しながらも堪能する。   (続けます)



八丈島へ ①  

14日から
2泊3日のツアーに参加。
行く先は八丈島。

キャンセルがあって
参加が可能になった貴重な旅で

前日から姫路に帰り
14日朝、空港リムジンで大阪空港まで。
そこから羽田まで行って
乗り換えて八丈島へ。




八丈島空港①




伊丹から羽田まで、
羽田から八丈島まで、いずれも1時間ソコソコで着いた。
羽田空港には
来日中のサウジアラビアの飛行機が
何機も羽を休めていた。

私は
八丈島は、
もっと南に位置している、と思っていたが
緯度で見ると四国の高知の足摺岬くらい、
と聞いて、認識を改めた。

着いたら夕方で
ホテルに着くと、お風呂に入って夕食を頂くだけ。
部屋は3階だった。

このホテル、
3階建てで、エレベーターが無く
全て階段で昇降する。
ホテルの言い分は、地震や噴火が起こると危険だから、とのことだが
何回か昇り降りをしていると、
危険でも
エレベーターがあった方がいい、  年寄りには堪える。
地下の大浴場も、階段だった。

夕食は、
島で獲れた魚や野菜が材料で、
最初、口にあわないのでは、
と危惧したが
地元の素材を活かして、美味しくたっぷりの量で満足した。

思うに、
東京から遠く離れて
島で取れるものでしか、料理が出来ないのではないか。

頂いたお酒が回って
部屋に帰るとすぐ寝てしまったが、
布団敷きはセルフだった。     (続けます)



3人、桜咲く

今年は
3人の孫が大学受験で、
2人は決まったが、1人結果がまだだった。

私としては、何もしてやれないが
氣だけは人一倍、揉む。

勝手なことに
3/2なら上等上等、などと
娘が聞いたら気を悪くするようなことを思ったり、

まだまだ大丈夫、とお気楽に考えたり、、、とにかく色々な考えが浮かぶ。

残った孫からすれば
すべてが自分なので、
3/2などと思われてはたまらない。
そんな訳で
孫を思うと、気持が閉じていた。

今日は朝から雪で、
することがないので、ベッドでテレビを見ていると
電話が鳴った。

出ると娘からで、開口一番
「通ったよ」

私はいっぺんに身体が軽くなった。
外の雪もやんだ。     さあ、、これから春、

私も、孫たちに負けていられない。


美作市立大原病院

今日は病院に行く日だった。

このところ、
患者さんが少なくて
順番取りもどうしようか、と思ったが、
目が覚めたので
6時半を過ぎて行った。

私の前にはだれも来ていない。
当地は田舎なので
先生も次々と変わり、大体2~3年で交代される。

私の主治医も
今で二人目だが、4月に変わられるようなので
聞いてみたら、
やはりそうだ、とのこと。

院長以外は、通いの先生か
初めての方が赴任される。
建物は立派だが、今の時期、中はがらんとしている。

来た当座は
姫路に行っていたが、
通院には遠いので、今はこの美作市立大原病院にお世話になっているが

今の先生は3年目で
ソロソロと思っていたら、予感は当たった。

そんなことも反映してか
はたまた寒いからか
とにかく今の時期、めっきり患者さんが少ない。

成り立つのか、
と心配になるが
都会の混雑した病院を思うと、、

これはこれで極楽かもしれない。




大原病院②



森友学園に関する報道

朝から降ったりやんだり。

雨は大した降りではないが
気温が寒いので出る気がせず
テレビをみていた。

どこの局でも取り上げているのが
大阪の森友学園の小学校用地取得の件で、
始めは
内容がわからなかったが、よく聞けばとんでもないことをしている。

豊中にある国有地が売られた話で
何でも、9億数千万円する土地が
8億円も引かれて学園側に売られていたとか、 これって国民の財産ですよ。

よその国なら大問題、
日本はつくづくとぼけた国だと思う。

まず大臣がとぼけている。
防衛大臣じゃないが、
こんな人が国を守っているのかと思うと、背筋が寒くなった。
安倍政権一強の慢心の結果ではないか。

つぎにとぼけているのが、役人、
真面目にこつこつ励んでいる人が大部分だろうに、
偉くなると
何でコウもすっとぼけられるのだろう、
と思うくらい、
見事にとぼける。

一人くらいは
(そうです、議員の声掛かりで、此方も気を使ってあげました、
 済みません、、、)
という位の
気骨のある人は、居ないのだろうか。

そうすれば
次の選挙で当選間違いなし。

それにしても野党の皆さん、
よく調べて、
暖簾に腕押し、の答弁を前に追及される姿勢には頭が下がる。

奇しくも今夜、
ネットをみていたら
森友学園幼稚園の事が載っている。




右翼①




右翼②




見ていたら、  これが又、ひどい、
まるで園児は虐待される集団のようで、  あーあ、 寒くなった。

こんな事案が
出て来ないように
真相究明を、切に望みたいものです。


ダブル健診

2/28は年2回の
石綿健診の日だった。

又、年1回の高齢健診もあったので、
朝食を抜いて、朝一番に近くの福間医院に行った。

この先生には
2度助けられている。

一度は20年ほど前、
心筋梗塞を見抜いて紹介状を書いてくださり、当時の塚崎記念病院に入院。
早く見つけて
大事に至らなかったが

その時、
私の心臓の血管には
狭窄を防ぐステントが4本、
太ももからカテーテルで埋め込まれている。

二度目はつい昨年のこと、
脳梗塞を見抜いていただいた。
早い処置の点滴が功を奏して、梗塞が溶け、
この時も事なきを得た。

昨年の感謝を述べて
健康診断を受けたが、結果は3週間先。
結果は、かみさんに聞きに行ってもらう。

それから午後、
今度は石綿健診のため、医師会館へ行った。
ここは今、外を化粧直し中だが、中はすっかりキレイになっていた。

喀痰容器を出したあと
いつもの健診をしてもらい、
済んだら2時過ぎで、それから大原に直帰した。

着いたら4時前だった。

昨日から今日にかけて
マッサージ、高齢健診、そして石綿健診、と
『大仕事』をした気になって、

あとは何をする気も起きず
一日が終わった。  しかし、気分は上々、ヤッター感充分。


マッサージ助成券を使う

姫路市では
70歳以上の高齢者に
申請すれば、1年に3000円分のマッサージ助成券がでる。

今日(27日)は、その予約の日。
かみさんが予約しておいてくれたので
姫路に帰る。

昼前について、
録画の「釣りバカ」を見ていると予約の3時。

(パルムマッサージ)という
市所属の施術所から
自宅に出張してもらえるのが嬉しい。
私は、
去年、脳梗塞を患ってから、
身体の筋肉が硬くなったようで、一度ほぐしてもらおうと初めて利用した。

マッサージに来てくれたのは
元プロ野球の選手だった方で
身体の故障から
マッサージの学校に行って資格を取ったと言う。

若くて体格がよく、力のある方で
約1時間近く全身を揉んでもらったら
気持ちがよくて、あとは身体が軽くなっていた。

そのおかげか
昨夜は、殊更よく眠れた。

この制度、みんな知らないのか、
知っていても面倒なのか、利用はあまり聞かないが、
味を占めた私、
次年度も利用したい、と今から楽しみにしている。


故里滞在記 ③

4日目、
入院している義兄を
大洲に見舞おうと、朝9時半頃でかけた。

場所が解らないので、
姉に一緒に行ってもらったが

姉も一度昔に行ったきりで
詳しくは解らず、甥にきてもらい案内を頼む。

義兄は心臓が悪いそうで
ペースメーカーを入れたという。
前に会ったときは、
太ってお腹も出ていたのに今回はすっきりしていた。

行っといてよかった。
会っといてよかった。   (もうちょっと続けます)


故里滞在記 ②

二日めの朝、
起きると、外は雪で真っ白。

雪はそのまま降り続き
夕方には25cmくらい積もった。大雪だ。

いつもは飛んできてくれるすぐ上の姉は
風邪で寝込んでいるとかで来れない。
一日中、三人で
昔の話をしたり、近所の話などをして寛いで過ごす。

四国は大丈夫、
と思った雪は
こちらでも降り続き、
降り込められてどこに行くこともできない。

義兄は92歳、
友達もほとんどいなくなった、
と嘆いているが
身体も気力もしっかりして、動きは私より確かなほど。

夜は、
雪も降ったり止んだりで、道路はカチカチに凍っていたが
明くる日昼頃になると、道路の雪も解けたので
すぐ上の姉宅に行ってみた。
来れなかったはずで、風邪で大層弱っている。

ここの義兄も
体調を崩して大洲に入院しているとかで、
少しだけ話して早々に切り上げたが、  みんな、歳がいったものだ。

雪は峠を越したようだ。   (続けます)


故里滞在記 ①

8日、かみさんから電話。
「ひどい寒波が来るから
 1日早めて愛媛に行けば」と言ってくれる。

それもそうだ、と
先方の都合もあるだろうに
10日出発が9日出発になった。

支度をしていると
たまたま姉から電話があったので
開口一番
「今から帰る」と伝えると、
くれぐれも氣をつけて帰るように、と言ってくれる。

移動手段は
目的も有って軽トラだから
そう早くは走れない。
大原を出たら、雪は消えていた。 

久しぶりにブルーラインを走って、瀬戸中央道に載せて
瀬戸内海を渡る。
普段は、四国に渡ると
すぐに「讃岐富士」が見えるが
9日は雨で、曇ってよく見えなかった。

ときたまウッスラとでも見えると、四国に渡った感慨で一気に気持ちが和む。




讃岐富士
讃岐富士




休み休み走って
姉宅には3時前に着いた。

義兄と姉は、コタツに入ってテレビを見ていた。
堅苦しい挨拶もせず、
いつものように迎えてくれる。  嬉しい。

私も、一寸外から帰ったような軽い気持ちになって
50年もの昔にタイムスリップする。
いやはや、故里とは有難きかな、

この日は
いつものように宝泉坊温泉に浸かって
夜はゆっくり休んだ。    (続けます)


眼科健診

私はまだ
めがねを掛けなくても新聞は読めるが、

近頃は、
気力も視力も弱くなったようで、長くは読み辛くなった。

半年ほど前、眼科に行った時、
先生にそのようなことを訴えた覚えがある。

今日27日、予約していた眼科健診に行ったら
看護師さんが、色々検査をしてくれた。
視力の検査から始まって
眼圧や眼底検査、等等
それが何なのか解らなかったが、とにかく一応の検査をした。

最後に診察を受けたら
左眼の白内障が進んでいる、と言われた。

白内障がどんなもので、
どんな注意をしていいか、も解らないが
当面の目薬を貰って帰ってきた。

しかし、検査の時、
眼球にプッと風を吹き付けられたのにはびっくり、

そういえばかみさん、
去年、両眼の白内障の手術をした時、
運転出来ない、というので自分が送迎したが

その時は関心が薄かったなあ、と今になって思う。
脳梗塞発症の少し前だった。
あっちこっちで老化が進行している。
気をつけなければ、、、

遅まきの「老化開眼」になった。


九州復興割の旅 ④   

28日、起きると
ホテルの裏にある高い山に雪が積もっている。

今日はまず
湯布院を散策する予定だが

道中、バスが高い所に差し掛かると
道の両脇は雪が積もっている。
700メートルの峠越えでは、かなり積もっていた。

湯布院に入ると、由布岳が見えてきたが
山頂は雲に隠れている。




由布岳
由布岳は雲




バスから降りると、寒い。
雪が降ったのがうなずける寒さだ。

回りは沢山の人が歩いていたが、寒くて散策も気が乗らない。
そして
回りの人たちの言葉がわからない、
殆ど中国の人だろうか、
まるで外国を旅しているようだった。

そんな時、日本語が聞こえてくるとホッとする。

食事をしようと店に入っても、
店の人も寡黙に見える。
話しかけても通じないからだろうか。

注文してから時間が掛かる。
散策時間も長かったし、
寒い外にいるより暖かかったので有難かったが。

散策を終えてバスに戻ると
次は「宇佐神宮」に向かう。




お参りする直美さん
平癒お礼





宇佐神宮




宇佐神宮は初めてだったが
大きくて格式が高いのにはびっくり。
参道では、沢山の露店が初詣の準備をしていた。

お参りを済ませると
あとは新幹線の小倉駅に一直線。

小倉 19:18 のぞみに乗車。
姫路で降りる。
行く時も早かったが、帰りはもっと早く感じた。

家に着くと
充実した4日間だったけれど、ほっとする。

今回の旅、
九州4県を周遊し
九州3大名湯に泊まって、二つの神社と二つの神宮で早々と初詣、

国宝臼杵石仏も見る事ができて、充実した有意義なものになった。

熊本城を始め
震災の復興に思いを馳せていると
いつの間にか眠り込んでいた。  (終わります)



九州復興割の旅 ③

3日目の朝、
今日は出発が早い。

ホテルを出るのが8時だったが、
浴場は5時からだったので
湯に浸かってから食事をすませて
バタバタと出発した。




青島へ
青島へ




まずは、宮崎の青島に行く。
青島は風が強くて、帽子が飛ばされそう。
青島神社を参拝して
早々にバスに乗り込んだ。

日向や馬が背を見て
臼杵まで一直線、  ここでも又、眠ってしまった。

時々目が覚めると
豊後水道が綺麗に見えていた。
臼杵に着いたら、すぐに待望の臼杵石仏の見学をする。

日本には
昔にも、こんなに見事な彫刻をする人はいたのだ。
思っただけでも気の遠くなるような細かい仕事を、電気もルーペもない平安の昔に。




地蔵十王像
地蔵十王像  鎌倉期の作




山王山石仏
山王山石仏  平安後期の作




古園石仏①
古園石仏を横から  平安後期の作




古園石仏②
古園石仏の顔(メインの石仏)  


 

着いた時には細かい雨が降っていた。
観光用の置き傘があったので、みんな借りたが
差して歩くほどではなく
杖代わりに持ち歩く。

バスに乗ったら
次は別府。
1時間ほどで着くとのこと。

別府に近づくと
いつもの事だが、いたるところから湯煙が上がっている。
凄い! の一言。
何回来ても、
この景色は気分を豊かにする。

宿の外は
もうもうたる湯煙の中
寛いだ気分で最後の夜を迎えた。  (続けます)




九州復興割の旅 ②  

旅の2日目、
朝一番(5時)に温泉に浸かる。

ホテル出発は8時半、
向かうは、熊本城公園と水前寺成就園。
途中には、ブルーシートの掛けられた屋根が多数見受けられる。

熊本城について
まず被害の大きさに胸がつぶれた。
あの自慢の石垣が、崩れている。




崩れた石垣




そして、天主閣の屋根、
無残にも瓦が崩れて哀れな姿。




崩れた石垣②





加藤清正がお祭りしてある
加藤神社まで歩いて、一日も早い復興を祈ってバスに戻ったが、

広い公園を歩く道中に目に入るお城の姿が
なんともかとも痛ましい。




ひどいもんや②




ひどいもんや。




かみさんは、何回も
「熊本城はええお城やのに、むごいなあ」
と言いながら
涙ぐんでみていた。

水前寺公園は、いつもと変わらない姿で
沢山ある松も、きれいに手が入っていて勉強になった。




水前寺。




松の剪定は、
手のかかる「もみあげ」がなされていて
見ているだけで気持ちがいい。
ゆっくり散策したあと、霧島神宮に向かう。

道中は
お城で歩き、公園で歩いたのが影響したのか
眠り込んで
気がついたら霧島神宮の手前のえびの高原で、
だいぶ標高の上った所に来ていた。

ホテルに着く前に
霧島神宮に寄った。




霧島神宮ご神木
霧島神宮のご神木




ここでも、復興が早く進みますように、とお祈りする。

ホテルに着くと
すぐに温泉に浸かった。
そのあと、食事をして
その時呑んだ少しのお酒に酔って、例によってバタンキュー。  (続けます)




九州復興割の旅 ①

25日(日)は、
旅行の出発日。

この旅行は
国の助成(九州ふっこう割)のついた
九州周遊3泊4日の旅である。
大阪発「のぞみ」に 姫路09:59 乗車する。

朝はゆっくりしていたが
いつものように姫新線の高岡駅まで
自転車で行く。

私はこの間の自転車に乗る感覚で
体調を量る。
今回は、冬籠りで休めていたからか
前を行く神さんに従いていける、 だいぶいいみたいだ、 一安心、

姫路までは一駅、
姫路駅のコンビニで
いつものように小型のウイスキーを一瓶買う。

車中で少しずつ嗜んでいるうちに
11:59 博多に着いた。

駅には佐賀観光のバスが待っていた。
このバスのガイドさんが
銀河鉄道999に出てくるメーテルに雰囲気がよく似ている。
神さんがそう言ったら

いつも言われているらしく
少し照れながら笑っていた。
向かうは阿蘇、  大観峰に着いて雄大な阿蘇山の噴煙を眺めていると
世間のくよくよしたことがみーんな、どうでもよく思えてくる。

しかし現実は
いたるところ、先の地震で山肌がむき出しになったり
道路が陥没していて心が痛む。

大観峰と草千里を観光してから
阿蘇外輪山を眺めながら、今夜泊まるホテルに向かう。




地震の爪跡
車窓から見た地震の爪あと




阿蘇の噴煙
草千里から望んだ阿蘇中岳の噴煙




大きな地震があったけれど
温泉の湯はコンコンと湧き出ていて
気持ちがいい、

私は、自身のことを始め
全ての事を忘れるべく、ゆっくり阿蘇温泉の湯を堪能した。   (続けます)



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プロフィール

Author:松本直美
定年後、岡山・美作で農業を始めて18年。
米作りだけでなく、野菜や花、
果樹、造園についても書いていきます。
造園技能士一級の資格を持っています。

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